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「一期は夢よ、ただ狂え」と破天荒だった父への羨望。退社後は「楽しいことだけ」を選んでいきたい――黒岩秀行さん

父は、官能小説家の団鬼六。
偉大な父の背中を見ながら、バンド活動に打ち込んだ学生時代。
あきらめの境地で入社し、理不尽な人たちにおもしろみを見出した会社員時代。
そして退社を選択し、好きなこと、楽しいことに立ち返った今――。
ライフシフトを経て、本来の自分を取り戻しつつあるように見える黒岩さんの、これまでに迫りました。

▶この特集では、ミドルシニアが自身の経験や好きなことを発揮できるあたらしい『出番』を創出する「ライフシフトプラットフォーム(LSP)」に所属するメンバーのライフシフトの体験と未来をお届けします。
聞き手:野々山幸 イラスト:山口洋佑

黒岩秀行さんのプロフィール:1987年電通入社。コピーライター、CMプランナーとして活動し受賞歴多数。その後、営業へ転局し、営業部長として数多の大手クライアントの大型キャンペーンの企画運営に携わる。その頃から『花と蛇』などの作品で知られる小説家の父・団鬼六から薫陶を受けた官能世界の奥深さを、企画コンテンツとして生かしたいと考えるように。サラリーマン生活では実現不可能と判断し、2020年に退社。官能をカジュアルに楽しめる空間を作るべく、事業の立ち上げを決意。

34年間も組織で働けたのは「人」のおかげ。50代に入って好きなことの棚卸しを

――官能小説の第一人者として著名な、団鬼六さんを父に持つ黒岩さん。就職や退職などの人生の選択をする上で、お父様からの影響はありましたか?

黒岩:はい、やはりいつも根底には父の影響があったと思います。本当にハチャメチャな人で、なぜか「ただいま」とあいさつをすると叱られたり、子どもが帰る時間でも関係なく家の庭先で団鬼六監修の緊縛撮影をしていたり(笑)。形式ばったことにはとらわれず、破天荒で自由。そんな生き方への羨望が、私の中にあったのも事実です

父を始め、親族など身近な大人に、大学を出て企業に就職して働く人がほとんどおらず……。そんな環境もあってか、今となっては不遜な話で恐縮ですが、サラリーマンとは他にやることのない人が、仕方なくなるものだと思っていました。

――そこから電通に入社し、34年間も務めることになるまでにはどんな心境の変化が? 

黒岩:学生時代はずっとバンド活動をしていて、音楽でやっていきたいと思っていたのですが、食べていくまでになるのは難しいなと。就職という道も考えなければと思うようになりました。その頃、大学を1年間休学してフランスへ留学したんです。一応語学の勉強ということで行ったのですが、自分の中では、気持ちを切り替えるための帳尻合わせの時間だったなと思っています。あちらの人たちは、人生を心から楽しんでいるんですよね。裕福かどうかとか、どんな職業に就いているかはあまり関係なく、バカンスが来れば陽気に騒いで。そういう感覚にいい意味で影響を受けることができて、仕事は何でもいいんじゃないかなと価値観が変わっていきました。と言いつつも、入社したときはうれしくもなく、あきらめの境地でしたが(笑)。

ところが、いざ入って仕事をしてみると同僚もクライアントもおもしろい人ばかりだったんです。常識外れな先輩の存在がすごくおもしろくて頼もしかった。良識的なまともなことを言うと「うるせぇな」と言われたりして(笑)。ある種の理不尽さがあった方が、僕は楽しいと感じるんだと思います。

――「理不尽さ」ですか? 一般的には、理不尽な環境では働きたくない人が多いと思うのですが……? 

黒岩:これまでの環境のせいもあるのか、僕自身、形式ばったことを言われると冷めてしまうようなところがあるんです。当時の電通は、僕が育ってきた環境に近いものがあったのかもしれません。礼儀やマナーを重んじるよりも、クリエイティブを突き詰めていきたい人たちばかりだった。それでいて、意地悪とかいうわけではなくて、困ったときはちゃんと助けてくれて頼りがいがありました。今だと、一歩間違えばハラスメントだとか言われてしまいそうですけどね。

興味深い人たちに会えるというのが、僕が組織で働く意味であり、最大のおもしろみだったんだと思います。制作の仕事から転籍して営業に移ったのですが、30年以上、会社員生活に没入できたのは間違いなく、人のおかげですね。

――その後の大きな決断としては、退職があると思います。50代で大きくライフシフトをしたきっかけは?

黒岩:54歳で役職定年になったとき、会社を中心に送る生活はもうやめようと思いました。仕事に追われて犠牲にしていたものも多かったので、あらためて自分が好きなこと、やりたいことの棚卸しをしてみたんです。

実は、会社に入ってから、学生時代にあれだけ力を注いでいた音楽も一切やっていませんでした。忙しく働く中で仕事以外のことをするという発想がなかったし、強く意識していたわけではないのですが、自分の中で、どこか封印しなければという思いがあったのかもしれません。それが、当時の仲間に誘われたらライブを見に行ったり、納戸の奥にしまいこんでいたギターを引っ張り出してみたり。音楽の世界にもう一度足を踏み入れてみて、今の自分がどう思うのか、試したりもしました。

――他にも「棚卸し」でやってみたことはありますか?

黒岩:あとは、父の仕事に向き合うというか、自分もエロの世界って実は好きだよなと。ただ、若い頃は親というフィルターを通してしまうと、父の作品はあまり読みたくなかったんですよね。あるとき、いわゆるエロ本を買って読もうとしたら、親父の作品でワーっとなって慌てて本を閉じたこともありました(笑)。

この年齢になってようやく受け止められるようになり、『花と蛇』などこれだけ多くの人に読まれるのは何か理由があるんだろうと、父の作品をあらためて読んでみようと思いました。内容としてはどれも似ていて、上品な女性が性に目覚めるまでを描いています。この時代ならではの話で、ある意味、社会に対するアンチテーゼもあったんじゃないかなと。あとは性的な部分だけでなく、ちょっとした情景描写など、やっぱり文章がうまいなと唸らされました。官能小説だけでなく、普通のエンタメ小説なども書いているのですが、そちらも読んでみるととても上手で、やっぱりストーリーテラーだし、作家なんだなと感じます。父の作品の版権管理は僕の妹がやっているのですが、妹と父の作品について話したり情報交換をしたり。そんなところから、退職して、エロをテーマにしたコンテンツ事業を立ち上げたいと思うようになりました。

退社後は封印していたバンド活動を再開。やりたくないことはもうやらない

――ライフシフトプラットフォーム(LSP)についてはどのように知りましたか? ちょうど退職を考えたタイミングと、LSPの発足が重なったのでしょうか?
 
黒岩:そうですね、退職を考え始めたのはまだLSPが始まっていない頃だったのですが、知ったのは2020年の発足のタイミングでした。すごくいい制度で、これで会社を辞めるのはありだなとすぐに思いましたね。ただ、最初の申し込みの締切まで2か月ぐらいしかなかったので、まずは妻を説得しなければいけないなと。特にお金の面で妻が心配すると思ったので、退職金ももらえるし、基本的にデメリットはないんだという説明を丁寧にしました。これまででいちばんと言っていいほど、妻と会話した期間だったんじゃないかなと思います。
それでも、締切ギリギリまで申し込みができなかったんですよね。最後まで悩みました。
 
――決断するまでに時間がかかったと。それはなぜだと思われますか?
 
30年以上務めた会社への愛着があったんじゃないかなと思います。あとは、定年まであと2年ほどだったので、やりきるという選択肢も残っていて。9割方は辞めるという気持ちだったのですが、そこで迷ったんじゃないかなと。締切の日の朝に決意を固めて妻に「会社辞めるわ」と言ったときには、自然と涙があふれてきました。すごく不思議でしたね。34年間やってきたことが終幕を迎える寂しさや、言葉にできない思いがあったんだと思います。
 
――大きなライフシフトですから、やはり葛藤はありますよね。結果的には、退社をしてみてどうでしたか? 率直な思いを教えてください。
 
黒岩:正直なところ、今はすごくよかったと思っています。いちばんは、人に評価されたり、評価したりしないでいいということで、この解放感は格別です。特に管理職になってからは、部下の評価をすることも大事な仕事のひとつだったのですが、嫌で嫌でしょうがなかったんですよ。僕は例え仕事があまりできなくても人柄がよければいいし、少しでもいいところがあれば認めたいと思うところがあって。組織内での査定みたいなところは、本当にストレスでした。やっぱり自分は、本質的には組織に向いてない人間だったのだなとつくづく思います。
 
――他にも、会社を辞めて変わったこと、よりよくなったと思うことはありますか?
 
黒岩:通勤がないので自分でスケジュールを自由に立てられるし、嫌な仕事は断ることができるし、上下関係がなくなって人とのコミュニケーションが取りやすくなるし……いいことだらけですね。特に、学生時代にやっていた音楽がやっぱり好きだと再確認したことで、バンド活動を再開したんです。ブランクがあるのでできるかどうか不安だったのですが、昔取った杵柄とはよく言ったもので、ギターをやり始めたらすぐに感覚が戻ってきて。今は2つのバンドを掛け持ちして週末にはライブ三昧で、何なら今はバンド活動がいちばん忙しいです(笑)。ボーカルもどうせやるならと思い、ボイストレーニングに通ったりも。きちんと習うとこれまでの自分は喉から声を出していたことがわかり、歌い方がまったく変わりました。
また、会社員時代にコピーライティングはしていたのですが、書くことにも興味があり、ライター講座を受講しました。あらためて学ぶと新鮮で楽しく、課題でAV監督に取材をしてまとめた記事が、優秀賞をもらったりもしました。オンラインでの受講だったのですが、学生さんからシニア世代の方まで幅広く知り合いもできて。70人ほどいるグループLINEでやりとりしたり、ときには誘ってもらって飲みに行くこともあります。
 
――充実した毎日を送られているんですね! こちらにも楽しさが伝わってきます。
 
黒岩:30年以上、会社員として頑張ってきたからこそ今があるとは思うのですが、だからこそ、もう自分がやりたくないことはやらないようにしたい。これからは自分が好きなこと、楽しいと思えることだけを選んでいきたいですね。この年齢になって、またぐっとハチャメチャで自由だった、父の考え方や生き方に近づいているのかもしれないなとも思ったりします。
 
――また、黒岩さんが感じるLSPのメリットについても、教えていただけますか?
 
黒岩:仲間がいるということは、圧倒的に心強いです。たったひとりで退職して、新たなスタートをきるのとは全然違いますよね。しかも、会社を辞めるという選択をした人たちなので、みんな組織がすべてだとは思っていないはずで、近い価値観を持つ人が多い。飲みに行って話をしても、違和感がなくてすごく楽しいですよ。同期だけは少し親しいですが、先輩後輩もないし、むしろ年下の方にも敬語で話したり。上下関係がほぼないのも、僕には心地いいですね。

父が残した作品を有効活用したい。「声の通販」の官能事業を立ち上げ

――退職後の活動についても聞かせてください。お父様の影響で始めた「官能をテーマにしたコンテンツ」とは?
 
黒岩:誰でも簡単に官能小説と向き合ったり、書いたりできればいいなと思い、400〜800字ぐらいの小説を書いてもらい、それを登録している声優さんが音声化するという「声の通販」を立ち上げました。ただ、短くても自分で小説を書くというのはハードルが高いんだなと感じることもあり、今は収益をあげるために軌道修正中。もう少し女性もカジュアルに官能を楽しめるようにできないかなど、いろいろと考えているところです。
これは父への親孝行の意味もあって、もう新刊が出るわけではないので、そのままにしていたら父の作品はどんどん忘れられていってしまうと思うんですね。版権ビジネスだけでなく、父が持っているコンテンツを何とか有効活用できればと思っています。
 
――今あらためて振り返っていただくと、団鬼六さんとはどんな方でしたか?
 
黒岩:シンプルな言い方をすると、とにかく小さなことにはこだわらない。父がモットーにしていた「一期は夢よ、ただ狂え」という言葉があるのですが、それを実体験としてやってきた人でした。どうせ生きてるんだったら、とにかく楽しもうという気持ちが強かったと思いますね。まわりにいる人たちにやさしくて、自分が稼いだお金を湯水のようにつぎ込んで、会合をよく開いていました。自分で出版記念パーティーをやったりね。たくさんの人に囲まれている父はとても楽しそうで、子どもから見ても気持ちのいいお金の使い方をするなと感じていました。反発したこともあるし、ケンカや言い合いもしましたが、本質的なところで父の価値観を否定できない、憧れみたいなものはやはりあるのかなと思いますね
 
――退職後にライター講座にも行かれたとのことでしたが、黒岩さんもお父様のように文章を書く仕事にも興味が?
 
やってみたい気持ちはありますが、ライターと作家もまた違うものだなと思うんですよね。父を見ていると、作家は自分のすべてをさらけ出して書くものなんだなと。というのも、父は家族の間にあった諍いを題材にして、小説を書いているんですよ。フィクションではあるのですが、そのときの父がリアルに体験した忸怩たる思いとかが赤裸々に書き記されているんです。これを読んだ時にすげぇなと。自分はそこまでできるかなと考えると、難しいんじゃないかなと思ってしまいます。
 
――最後に、黒岩さんの今後の展望について教えてください。
 
小説はまだまだですが、取材したことを自分のフィルターを通して伝えることのおもしろみは感じていて、今後、書くことで少しでもお金が稼げるようになったらいいなと。やりかけの官能事業とともに、進めていきたいですね。


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