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「残念なプレゼンテーション」を日本からなくしたい。「おもろい」精神で、コンサルと大学教員の2本柱に――小川修功さん

小川修功さんは、自分のことを「ビビリ」だと言う。
「不確かな状態のモノには乗らない」ことがポリシーだとも。
そんな彼が、独立してLSPに参加するまでには、いくつかのきっかけと、偶然と、人との関わりがあった。
現在に至るまで、どのような環境や心境の変化があったのか。じっくりお話を聞いた。

▶この特集では、ミドルシニアが自身の経験や好きなことを発揮できるあたらしい『出番』を創出する「ライフシフトプラットフォーム(LSP)」に所属するメンバーのライフシフトの体験と未来をお届けします。
聞き手:野々山幸 イラスト:山口洋佑

小川修功さんのプロフィール:1996年電通入社。日本語、英語のスピーチ力を活かし、広告戦略、表現、IT、グローバルなど多様な案件においてフロントマンとしてプレゼンターを担務。2020年同社を退社、独立し
WaShPresso COMPANYを起業。スピーチコンサルタント・プレゼンテーションコンサルタントとして、組織の経営者や広報担当者、営業担当者、グローバル部門担当者にプレゼンテーションを指導中。また、複数の大学で教員として広告論やプレゼンテーション、PR等の科目を担当。

食事を見直して体重20kg減。40代になっても変われると実感し、独立のきっかけに

――スピーチコンサルタント・プレゼンテーションコンサルタントとは具体的にどのようなことをするのでしょうか? 現在の仕事内容を教えてください。
 
小川:いろいろな企業やその他の組織からの依頼を受けて、プレゼンテーションの方法や内容を指導したり、監修したりしています。「記者会見があるからプレゼンテーション対応を考えてほしい」という依頼や、最近では海外で行う競合プレゼンのコンサルも。何社か参加して勝ったところが仕事を受けられる大きなプレゼンで、資料作りや中身の組み立てなど準備段階から携わりました。
 
電通で最後にやっていた海外向けのプロジェクトのプロデュースや、そのためのプレゼンテーションの仕事も、業務委託で支援を継続しています。
 
あと、もうひとつの柱が大学教員として学生に教えること。電通在職中から、社会人が自分の経験を生かして大学教員として働くための知識やスキルを学ぶ「実務家教員養成課程」を受講し修了しました。今は非常勤講師として「プロモーション戦略」という広告論のような授業と、「プレゼンテーション」そのものを教える授業の2つを受け持っています。
 
――「英語力」や「プレゼンテーション」など強みを生かしての独立は、やはり早いタイミングから考えていましたか?
 
小川:いいえ、まったく。ずっと「勝ちを確信するまで徹底的に準備する」「不確かな状態のモノには乗らない」というポリシーで生きてきたので、会社も定年はもちろん、延長雇用も使って65歳ぐらいまで働ききると信じて疑いませんでした
 
――そうなんですか!? 現在の活動からは、意外に感じます。
 
小川:一言で言うと、僕は「ビビリ」なんだと思うんですよね。これは昔からの性分で、中学受験や大学のときの留学など、生活が大きく変わるような選択は、ずっと避けてきました。就職活動でも、手当たり次第受けて自分が望まない会社に入るなんてリスクは絶対に取りたくなかったので、準備をしていけると確信できた数社だけにエントリー。思いもよらない道には進まないよう、用意周到に、安全に生きてきました。
 
――独立はその対極にあるというか、きっとこれまでの小川さんであれば絶対になかった選択肢ですよね。どのようなきっかけで変わったのでしょうか?
 
小川:きっかけのひとつは、新橋駅前「一蘭」のラーメン(笑)。ある日、替え玉までして実質2杯分ぐらいラーメンを食べたら、食後にひどく胃もたれして食欲不振に。そこから2日間ほどまったく食べないでいたら、ひもじくなるかと思いきや、それまでの数年間で感じたことがないぐらい、驚くほど胃腸が軽くなりました。これまで食べすぎていたことを知り、体をラクにするために食事を抑えてみたら、半年で約20kg体重が落ちたんですよ。
 
さらに体重を落とすには、やはり体を動かさなければと思い「運動大嫌い」な僕が1kmのジョギングをスタート。ちょうどその頃に久々に会った同級生が、サラリーマンなのにトライアスロンのアマチュア日本代表になっていたことを知って。大会を見に行ったら、ロードバイクがズラッと並ぶ光景がガジェット好きに刺さり、また走るだけでは運動にもすぐに飽きてしまうかなと思い、自分もトライアスロンをやることになりました。
 
これが40歳のときなのですが、40代になってここまで変われるんだという体験は、大きなライフシフトになりました。
 
――身をもって実感されたということですね。
 
小川:まさに身をもって、です(笑)。
 
あと、独立に働いたのは外発的な刺激で、老後の生活資金のことが話題になり、このままサラリーマンを続けていても年金は期待できないし、医療費も上がりそうだという現実が見えてきた。人生100年時代と言われて、65歳以降の人生もまだまだあるんだなと思った時に、延長雇用が終わってから会社をポイっと放り出されるのは、すごく不安だと思ったんです。これが、2018年頃。
 
――というと、小川さんが45歳ぐらいの頃ですね。
 
小川:そうですね。45歳前後は、将来のことが大きな懸念として頭の中を占めていて、隙あらばどうするべきか考えるようになりました。65歳以降も働き続けるのであれば、会社の外でお金が稼げるスキルと経験を身につけておかなければいけない。その時期になってからじゃ遅いぞ、だけど会社勤めと並行してそういう準備ができるほど器用ではないぞ、と。独立を考えたのは、実は前向きな思いではなくて、もともと僕が持っている「ビビリ」という性分が、将来の不安をつぶしておきたいから思いついたことだったんだと思います。
 
これまでに、母校の大学や知り合いから、学生にプレゼンテーションについて教える講座を頼まれたことが何度かあって。「教える」ことは、自分のライフワークにしてもおもしろいんじゃないかなと考えるようになりました。妻が大学教授で、社会人やビジネスマンが大学で先生として教える「実務家教員」が不足しているとも聞いたので、まずは自分自身が教えるために学び直そうと「実務家教員養成課程」に通うことに
 
ちょうど同じぐらいのタイミングで、LSPが立ち上がることを知りました。

仲間とゆるくつながる安心感。そこに頼りすぎず、ビジネスとして発展させたい

――LSPについて、最初に聞いたときの印象は?
 
小川:正直、あやしいなと(笑)。ものすごくいい制度なんだけど、Winはこっちにしかないように見えて、いいものには必ず裏があると思ってましたからね。
 
そんなときに、同じ部署だった時期が長く、家族ぐるみでお付き合いのある先輩が、興奮した様子で連絡をくれたんです。「LSPってなんかおもろそうじゃない?」と。「どの辺に惹かれたんですか?」などと話す中で、制度の趣旨とか、これは一種の実験なんだというようなことがわかってきて、だんだんと「確かにおもろいかも」「この制度で会社を辞めるのはアリだ」という気持ちになりました。
 
ここ数年悩んでいた定年という縛りから解放されて、元気である限りはずっと働くことができる。その上、退職したら手綱を完全に切られてさよならとなるわけでもない。独立しても、これまでの会社や仲間とゆるくつながっていられるのは、大きなメリットだなと感じましたね。
 
――親しい先輩と話すことで、考えがまとまっていったんですね。
 
小川:もうひとつ、大きかったのが当時の上司とのやりとり。所属部署には海外対応できるのが僕しかいなかったので、LSPの制度で退職することを考え始めてから、迷っている段階で上司の耳に入れておいた方がいいなと思いました。報告すると、実は上司も気になっていたと言うんです。
 
意気投合して、ちょうどコロナ禍で直接会うのが難しかったこともあり、10日間ぐらい連続で、上司とビデオ通話で話しました。「会社を辞めたらどう生きていくか」や「家の事情があるからそういうことも考えるとね」など、極めて個人的な思いや考えをお互いに聞き合って、なるほどなと思うことが多かった。
 
敬愛する身近な上司とも考えを擦り合わせることができて、もうLSPに手を挙げない理由はなくなりました。
 
――LSPに参加して約3年経つと思いますが、今あらためて、メリットを感じることはありますか?
 
小川:それは大いにあります。会社を離れて完全にひとりになってしまうのではなく、志を同じくする人たちの輪っかにいるような安心感があります。
 
僕はそのさらに一歩先というか、いい形でビジネスにつなげられたらと思っています。例えば、LSPに所属する教育に興味がある人が3〜5人で組んで、大学で教えるのはどうかなと。1人で教えるよりも当然内容が充実するし、これまでの大学にはない科目になるんじゃないかと思うんですね。LSPの中で、すでに教えることを始めている人も知っているので、うまく組んで、新たなことを展開していけたらいいなと考えています。

学ぶことに動機や目的意識はなくていい。プロセスを「おもろい」と思えるかどうか

――小川さんは独立の前後で、大学教員になるために「実務家教員養成課程」で学んだとのこと。他にも、学び直しをしたことはありますか?
 
小川:大学の教員をする上で、退屈にさせない授業をするためにいろいろなやり方、見せ方、聞かせ方ができる方がいいと思い、実務家教員養成課程と並行してボイストレーニングに通いました。ビジネスマンもいたのですが、声優志望の学生から、カラオケがうまくなりたい高齢者など、幅広い世代の方たちと学ぶのは楽しかったですね。
 
その他、色覚に特性がある人も、みんなが読めて見やすい資料を作成するための視覚的な留意点を学ぶ色彩検定、また、グローバルな仕事をしていることに説得力をを増すために、いつかクリアしたいと考えていた英検1級も取得。お風呂に浸かりながらスマホで単語帳を読んだりするなど、隙間時間に組み込むようにしました。
 
――学び直しをしたいと思っても、日々の業務に追われて忙しかったり、つい怠けて続かなかったり……。小川さんのように、モチベーションを保つ秘訣は?
 
小川:今回に限っては、独立後に役立つようにと逆算して学びましたが、基本的に僕は学ぶことに動機や目的意識はなくていいと思ってるんです。大事なのは、学ぶこと自体やその過程を「おもろい」と思えるかどうか。この「おもろい」は興味深いとか知的好奇心をそそられるとかではなくて、単純に楽しくてわくわくするかどうか。学ぶプロセス自体をおもしろくできるかどうかということには、すごく関心があります
 
もっと言うと、ビッグデータやAIなどのように、これからの時代に必要な学びもありますよね。こういったことは、興味が持てないから学ばなくていいのではなくて、自分がどうしたらおもしろがれるかを知っておくと前向きに取り組めるんじゃないかと。年齢を重ねたからこそ、これまでの経験を生かして、そういう知恵を持てるようになりたいですよね。
 
――なるほど、純粋に学びを楽しむ心を忘れてはいけないということなんですね……!今後さらに学びたいことや、将来への展望を教えてください。
 
小川:ビジネスに欠かせない数学や統計学の基礎を、専門知識ではなくリテラシーとして学び直しておきたいなと。語学は基礎の基礎が使えるだけでも、人とのつながり方が大きく変わると感じるので、フランス語の勉強もしたいです。
 
僕が最もやりたいのは、残念なプレゼンテーションを日本からなくすこと。これまで、研究内容やその製品にはすごく価値があるのに、プレゼンがうまくいかずに世界に負けるというシーンをいくつも見てきました。
 
最近は、コンサルティングの仕事の比重が多く、今後も広げていきたいと思っていますが、もしかしたらいつか、現役でやっているビジネスマンよりも、学生の教育に力を入れて、底上げをはかりたいと思うかもしれない。専任の大学教員を目指すことになれば、最低でも修士の学位があった方が機会は増えるようなんです。そうなったら、大学院に入って、また学び直しをするのもいいかなと思っています。


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