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【浅野佳麻里が見たい世界】「食べることは生きること」。食で人と人をつなげ、モノやコトをつなげ、笑顔をつくっていきたい。

生粋の関西人で、食べることがとにかく大好き。
友達・仲間との食事が至福の時である浅野さんにとって、コロナ禍は辛かった。それでも近所に一人で行ける気のおけない店もでき、店主と話す楽しさも新しく知った。

腰掛け3年のつもりが、好きなことを夢中でやってたら仕事人生になってしまった。そう言って茶目っ気たっぷりに笑う彼女を、少女のまま大人になった人みたいだと思った。無垢に、素直に、自分の感覚でまっすぐ迷わず進んできた人。

電通での仲間との日々が大好きだったから、辞めるかどうかは人生で一番悩んだという。しかしNHで歩みだした足取りはとても軽やかに見える。さまざまな人に会いに行き、感動したことを新たなプロジェクトにし、困っている人がいればボランティアでも一肌脱ぐ。

だからこそ考える。食べるって何だろう。生きるって何だろう。コロナで仲間と食べる喜びを奪われたこと。孤食になっている人々のこと。障害があってうまく噛めない人、流動食しか食べられない人。最近周りに亡くなった人も多い。その中で、食べると生きる、その本質に目を向ける。みんなが幸せに食べられるようにと。

エンジンをふかして爆走していく感じではなく、一つひとつ思いを込めて種を植えていく感じが、浅野さんの今の働き方。焦っても仕方ない。それこそ人生は100年・120年時代。彼女は軽やかに、楽しみながら、人の輪を作りながら、これから食という領域で花を咲かせていく。

▶︎この特集は、NHの人々が今何を思い、未来に何を描くのか、外部の人間から迫ったインタビューをお届けします。聞き手:本間美和 イラスト:山口洋佑

浅野 佳麻里(かおり)さんの仕事歴:
1986年電通関西支社入社以来マーケティングセクションに所属し、主に食品関連クライアントを中心に、商品のマーケティングや商品開発等を担当。食に関心が高く、趣味と実益を兼ねて社内プロジェクトの「食生活ラボ」に立ち上げ時から参画。食のトレンド情報発信や食生活意識調査等を担当し、社会課題と食の問題を考える。2021年1月よりNH(ニューホライズンコレクティブ)へ。

腰掛け3年のつもりがキャリアウーマンに

ーーそもそも電通に入ったのはなぜだったのですか?

まさかこんな仕事人生になるとは!という感じです。短大卒で、事務職で働けるところを探していましたから。その時代、短大卒は何年か働いてお嫁に行くのが普通。私もそのつもりでした。電通が何をしてる会社かも知らなかったんです。

ところが会社の人たちと過ごす毎日がとても楽しいし、配属された情報センターでの仕事もすごく面白くて。会社を辞めたくなくなってしまったんです。その後マーケティングの現場に異動でき、上司や先輩方に温かく指導してもらい、お得意さんの所に行かせてもらえるようになって、ますます面白くなっていきました。

クライアントはほぼ食の関係でした。マーケも何も分からない私が、生活に身近で、実体験を持って分かる領域が食だったから。でもやっていくうちに、ハマっていった感じです。食べることって皆を幸せにしてくれることだと信じてるので。

ーー食べることは幸せをつくる……浅野さんの育った家庭の食卓はどのようなものだったのですか。

小学生の頃に父が家を建てて、祖父母と叔母を含めた7人家族で暮らしました。しょっちゅう親戚も来て、食卓はいつも賑やかでした。テーブルを囲めなくなるほど! 焼肉とかお好み焼きとかお鍋とか、わいわい笑いながら食べるのが好きだったな。

あと家族4人で外食にもよく行きましたよ。高校生になってからは、父の知り合いのお寿司屋さんへ行き、そのあとカラオケスナックでに連れて行ってもらうのがいつも楽しみでした。

私が、みんなでわいわい食べることと、ちょっと特別な美味しいお店に行くことの両方大好きなのは、昔の思い出がとても良いものだったからですかね。ありがたく思います。

いつ死ぬか分からない。好きに生きなくちゃ

ーー電通を辞め、NHに入ったきっかけは何だったのでしょう。

去年、周りの親しい人たちが何人も亡くなってしまいました。実家の近所のおばさんたちも立て続けに2人。入社時からよくしてくださった上司も。みんなガンでした。人の死ってあっけないなってショックを受けました。

幼なじみの同級生は、ガンに気づいたときには手遅れで、一年くらいであっというまに死んでしまった…。闘病中、彼が少し元気になって外食できたときに「好きなことをやれよ」と言ってくれて。NHの公募が出たとき、彼の言葉を思い出して、やってみようかなと思ったんです。それでも人生で1番くらい悩んだんですけど。

やっぱり私、電通がすごく好きだったんです。職場で仲間たちとワイワイ馬鹿話したり相談事したり、一緒に食事に行ったり、本当に楽しかった。辞めたら大好きなみんなと会えなくなるっていうのが辞めたくなかった一番の理由です。

でもコロナでリモート中心の働き方になって、なかなか会えなくなっていたから、もし辞めても、今と人間関係は変わらないかなとも思ったんですね。もしリアルで会社に行けている時だったら辞めなかったと思います。

食を通じて人生に彩りと活力を

ーー電通時代はマーケティングを担当していた浅野さんですが、NHで今取り組んでいることは何ですか?

電通からの仕事はすべて切り離したんですが、ただ1つ、社内プロジェクト「食生活ラボ」で携わっていた「オンラインレストラン」という企画だけ、ほぼボランティアで続けています。飲食店を支援するという目的で少し内容を変え、名称を「リモートレストラン」にして、ラボから了承を得て。

リモートレストランは、レストランで一緒に食事をする体験をオンラインで味わってもらうというものです。事前にお店のお料理を冷凍などで自宅へ届けて、同日同時間に参加者がzoomで集合。シェフに温め方や盛り付け方を教わって準備し、食卓で食べてもらいます。その間に、シェフがメニューの話をしたり、お客さんからの質問に答えるなど、まるでお店に行ったかのようにやりとりができます。

レストランの支援にもなるし、たまには美味しいお店で外食したい人も喜ぶ。企画する側も楽しいという三方よしです。

ある老舗の星付きの料亭さんは、コロナ禍で接待や海外のお客さんが来なくなりすごく困っていました。メールも使ったことがないような店主だったんですが、リモートレストランにチャレンジしてみたいと言ってくださって。NHメンバーのシンガポール料理研究家とのコラボ企画もやりました。お店でも食べることのできない今回だけのとても美味しいメニューができて、感動的だったんですよ!参加者からも絶賛でした。

例えば、料亭の看板料理である明石鯛のお刺身を、ナッツとパクチーをあえて中華風のお刺身にして梅酢でいただくとか。干しエビをチリソースに仕立て、ナスの炊いたんにからめ、ロティーに包んで食べるとか。参加費8000円で、画面に20人くらい登場して一緒に食べました。その中に妻が誕生日ですと言う人がいてみんなで祝ったり。2人のシェフに説明してもらい、参加者からも質問してもらって、盛り上がりました。

ーーお料理の話をしているときの浅野さん……本当に食が、そして食を介したインタラクションが好きなんだと伝わってきます。他に取り組みたいことはありますか。

レストランを開きたい方の食材の調達や、サイト作りを手伝ったり。私は食にまつわる夢のお手伝いをしていきたいんだと思います。食品や調味料をお店と一緒に作って、ECサイトで売ったりという商品開発にもチャレンジしていきたいです。

あとは、老後のこと。それこそ「人生120年」とかも言われだしていて、ちょっと不安になりますよね。寝たきりや病気で、思うようにいかない生活が続くのは嫌だし、孤独死もあるかもしれない。周りの友人たちも、独身だったり子供には頼りたくないと思っている人もいて、「老後にみんなで住めるシェアハウス作ってよ」と言われています。野菜を作ったり、料理したり、掃除したり、それぞれ得意なことやって、みんなで美味しいもの食べてたら元気に楽しく生きられそうじゃないですか。これも叶えたい夢です。

関心があるのは高齢者や障害者の食

ーー今、浅野さんの食に対する問題意識はどこにあるのでしょう。

電通にいた時、元フレンチシェフの多田鐸介(たくすけ)さんと知り合って、介護食に興味を持つようになりました。多田さんはフレンチの技法を活用して、ペースト状やジェル状の美味しい介護食を開発しています。例えば彼のつくる「握らな寿司」という流動食のお寿司は、シャリもネタもジェル状に加工して、見た目もお寿司っぽくなってて、食べると口の中で本当にお寿司みたいに感じるんです。わさび、のり、ガリもちゃんとあるこだわりです。

そのお寿司をあるとき東京の障害者関連のイベントに出店したら、今までお寿司を食べられなかった障害のある子どもたちが大喜びで食べました。障害があってちゃんと噛めない人には、酢飯って咳き込んでしまうからNGだったんですね。嚥下機能に問題のある高齢者にも安心なので、介護施設のお誕生日会などでもお出ししているそうです。

介護食って美味しそうじゃないイメージありませんか。それに対して、見た目も味もおいしいものを死ぬまで食べられるようにしたいという彼の信念にとても感動しました。

ーー自分がいつか介護食を食べる日が来るとは、今はまだ想像できない、というか想像したくなくて、関心を持ててなかったと気付かされました。老いと食…。他人事ではないですね。

今、お年寄りも、そして若い人も、「孤食化」が進んでいますよね。1人だと食事をつくるのが面倒ですし、適当に済ませてしまいがちに。結果、ちゃんと栄養が取れなくなって、心身のバランスを崩してしまいます。

私の母も、1人で居ると作る気がしないと言っていて、だから週末に行っては料理を作って一緒に食べ、たくさん作り置きしていくようにしています。食事ってやっぱり、元気の源だと思います。

地方が面白い、食べ物をつくる仕事が面白い時

ーー「食べること」はこれから、どうなっていくと思いますか。

遥か昔から、人は「こんなもの食べられる?」ってものも食べてみて、お酒や発酵食品も作ってみて、そういうチャレンジが現代に文化となってつながっています。そしてそういう昔から受け継がれた食の文化は、地方にいっぱいあるんですよね。

電通本社のすぐそばにあった築地市場に象徴されるように、これまでの食は地方から都会に向かう大きな流れがあった。それが今、また地方へ戻っているような感じがします。住む場所もリモートでどこでもよくなったとき、地域に根ざしたもの、とれた野菜、郷土料理などが改めて見直されている時代なのかなと。もうこれ以上は都市に集中するってないんだろうなと。

ーー生産者さんのすぐ近くでとれたての野菜や魚を食べてしまうと、そのエネルギーの強さに、もう元に戻れなくなりますよね。

そうですよね。いま、どんどん地方に目が向いていて、衰退していく農家や酒蔵を若者が継いだりという流れが各地で生まれています。昔は家業を継ぐってかっこいいイメージがなかったり、親も儲からないから継がなくていいと言ってたけれど。

コロナでいっそう若者の考えが変わって、加速していますよね。そもそも儲かることが幸せではなくて、生きる実感や誰かの役に立つ喜びを自然に価値軸に置いている。だから企業に勤めるだけが選択肢ではないことが普通の認識になっていますよね。それに合わせ、親世代も変わってきた。やりたくて楽しいならいいよと。

でもどんな世の中になっても、何が変わっても、何がなくなっても、生きるためには食べなくちゃ。震災でもコロナでも、切り離されなかったことの1つは食べることです。オンライン化もAI化もできないこと。

将来、食事がすべてサプリや点滴でできる時代が来るかもしれないけれど、とにかく体の中には何か入れないと人間は生きていけません。

食を切り口に「生きる」の本質に触れる

ーー食のあり方に、人間とはどういうものなのかの哲学が透けてみえてくる。サプリで生きていっても、それは人間なんだろうか。独りきりで生きていってもそれは人間なんだろうか。浅野さんの「みんなで食べたい」、「美味しいと言ってちゃんと自分で噛んで食べていたい」って、実は人間であることの真ん中なんじゃないかって感じました。

そうなのかもしれないですね。
忙しいとか料理ができないからという理由で、365日コンビニみたいになっている若い人もいますし、人付き合いがなくて1人でずっと食べている人もいると思います。食の喜びにアクセスしないまま人生を過ごす人が。

別に空腹を満たすためだけならそれでいいと思います。コンビニ弁当も美味しくなってきていますし。でも私は1人で食べるよりみんなで食べた方が美味しくない?と思うんです。

食べることって生きること。たとえ御馳走じゃなくても「美味しいね」と言い合って一緒に食べる人がいると、心にも栄養がいきますよね。そして、本当はみんなで食べたいけどさまざまな理由で1人で食べるしかない人には、解決のソリューションを考えていきたいです。

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ーー食を切り口にして、生きることの本質にタッチする人、食卓を囲む喜びを味わう人が増えることを、浅野さんは望んでいるわけですね。

そう思います。例えば移住促進や就農、孤食化の問題解決なんて言われるとちょっと…という人でも、美味しいものを食べることが真ん中にあれば、楽しく入っていける気がするんです。

食べることって、すべての人間の共通言語ですよね。例えば食事をするときって、カウンターで隣に座った人とも、お店の人とも話しやすいじゃないですか。本屋では話しかけないのに。

私もこう見えてもともとは人見知り。でも食べることが好きになってから、お店の人と話すこともできるようになって、人間が変わった気がします。つまり、食べることって、他人、もっと言うと異文化との媒介になってくれるものだと思うんです。人と人とをつなげる食。

幼なじみが言ってくれた「好きなことやれよ」って、好きな仕事って意味だけじゃなくて、その先にある、私がいつも美味しいものをみんなで楽しく食べて、笑って元気に生きていけたらそれでいい、ってことじゃないかなと。今も天国から「やってるな!」って笑って、私のこと見てくれてると思います。


New Horizon Collective WEBSITE

取材・構成・文 = 本間美和
フリーランス編集・ライター
1976年生まれ。日立製作所の営業から転職、リクルート「ゼクシィ」、講談社「FRaU」の編集者を経て、夫と2年間の世界旅へ。帰国後はNPOを立ち上げ「東北復興新聞」を発行。現在は長野と京都の二拠点生活で2児の母。大人な母のためのメディア「hahaha!」編集長。著書に『ソーシャルトラベル』『3Years』。
イラスト=山口洋佑
イラストレーター
東京都生まれ。雑誌・書籍、音楽、ファッション、広告、パッケージなどの様々な媒体で活動。CITIZENソーシャルグッドキャンペーン「New TiMe, New Me」、FRaU SDGs MOOK 、『魔女街道の旅』(著・西村佑子 山と渓谷社)、絵本『ライオンごうのたび』(著・もりおかよしゆき / やまぐちようすけ あかね書房)、テレビ東京「シナぷしゅ みらいばなし」などを手がける。各地で個展なども開催。yosukeyamaguchi423.tumblr.com

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