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【江上徹の見たい世界】会計士20年、ついに「本当にやりたい仕事」を始める。ビジネスで使えるガチンコの英語学校づくり。

ーー静かに話す人だった。
電通でも異色の経歴とスキル。敏腕公認会計士で英語も堪能。ロジカルでクールな人。それが江上徹さんの第一印象だった。

彼の人生の第一目標には、自分の力で「飯が食えるようになる」ことが常にあった。会計士の勉強をし、経験と実績を積み、信頼され仕事の依頼が来るだけの力をつけた。

社会人になって約25年、「飯が食えるようになる」を叶えた今。いつからかどこかに置いてきぼりだった「本当にやりたいこと」に向き合うことにしたのだと言う。電通を辞め、NHに加わり、子育ても一段落した今、ついに。未来を語る彼の中に、初めて熱を見た。

RPGのスタート画面が脳裏に浮かんでくる。まだ霧がかかっていてステージの全容は見えない。どこまで広がっているのか。
何が待っているのか。どんな仲間ができるのか。47歳の勇者は、今まさに冒険への一歩を踏み出そうとしている。

これまでの江上さんが、「与えられた役割をきちんとやる人」「結果を出す人」だとしたら、これからは「楽しむ人」になるのかもしれない。そんな予感がした。ーー

▶この特集【NH230人が見たい世界】は、NHの人々が何を今思い、何を未来に描くのか、外部の人間から迫ったインタビューをお届けします。
聞き手:本間美和 イラスト:山口洋佑

江上徹さんのお仕事歴:
1998年精密機器メーカーに入社。経理配属になり4年で退職。予備校に2年通い2004年公認会計士試験合格。日本4大監査法人の1つ、あずさ監査法人に入所し10年間経験を積む。アメリカ駐在中に米国公認会計士合格。2014年電通入社。経理局に6年勤めた後、人事部門に異動しNH(ニューホライズンコレクティブ)立ち上げのコアメンバーに。2020年末電通退職、Leapfrog合同会社を設立。

新卒、失意の経理配属

ーー電通へは会計のプロフェッショナルとして中途入社したとのことですが、それまでどのようにキャリアを積まれたのですか。

新卒で入ったのはグローバルに展開している精密機器メーカーで、日本の製品を海外に売りたい、いわゆる国際営業志望だったんですね
。
でも、私に言い渡された配属は経理でした。


「えー?! なんで?! 」と思いましたよ。もちろん異動願いを出しましたが、経理は15年ぐらいかけて一人前になっていくので基本的に異動は無いと言われてしまいました。



一緒に配属された他3人は、大学で会計をやっていた人たち。私は
大学で会計の勉強など何もしていないので、会社での実務が先になってしまった。何か地に足がついていない、ふわふわした感じがありました。ただ言われたことを丸暗記して働いている感じで。
でもやり出すとそれなりに面白さも感じるようにもなりました。

もともと、いつか何かの形で独立をしたいと思っていたので、「士業か…ありかもな」と思い、公認会計士を本気で目指すことに決め、プランを立て貯金も始めました。半ば開き直ったんですかね。
4年勤めて退職し、会計士の予備校に通って2年間勉強して、2回目の試験で何とか合格することができました。

ーーさらっと言ってますけど、決断も、それを実行してしまうのも、普通じゃないですよ…。すごいです。

予備校で周りにいたのは学生がほとんど。私は試験に受からなければどんどん貯金が減っていくというリアルな切迫感がありましたからね。追い込まれて頑張れた感じです。

公認会計士になって、大手監査法人で経験を積みました。会計士の資格を取ったら監査法人で実務を積むのがセオリーなんです。10年間の在籍中、ダラスに2年間駐在し、米国公認会計士の資格も取りました。渡米はまだ長女が1歳になる前。その後次女も授かり、今は中学生と小学生になりました。

アメリカでは担当する企業が多種多様で、自動車メーカー、リサイクル業者、ファンドなどなど。「こんなことをやっているんだ」といろんな業界のノウハウを勉強しながら実務を行うことができました。マネージャークラスまで行ったので、信頼いただけるだけのベースは作れたと思います。今も、自分でクライアントを持ち、会計業務の仕事もしています。

自分で食えるようになりたい

ーー理想と違う配属になって、簡単に異動できないと分かったら、大概の人は、転職するか、我慢して嫌々働くかだと思うんですが。江上さんは「その道を徹底的に極める」道を選んだ。どうしてそんな発想になったのかが不思議でたまりません。

ビジョンがないんでしょうね、こだわりがないというか…。笑

ーーいや、受け入れて、腹をくくるってことですよね。潔すぎます。

実は、私にとって衝撃的な出来事があって、そういう決断をしたんだと思います。

私が新卒入社したメーカーでは、当時は最初に工場実習と営業実習がありました。営業実習はいわゆる飛び込み営業。新宿の営業事務所に何人かの新入社員とともに派遣されました。

するとそこに、50歳くらいの社員さんが何人か異動してきたんです。彼らも私たち若造と同じく飛び込み営業をやると。もともとは管理業務の人たちのようだったんですが、
彼らを見て、すごく失礼なんですが、当時の私は強烈に思ってしまったんです。「将来こうなるのは嫌だな」って。自分で飯を食えるような人間にならないと。のんびりしていたらこうなるぞって。


それで営業実習が終わって、配属先が決まって、思ってもみなかった経理だったわけです。「食えるようにならなきゃ」という強い思いがあったから、会計士になろうと腹をくくれたんでしょうね。今思えばですけど。

中2で生まれた「ちゃんとしなきゃ」

ーー食えるようになる。独立する。これが新卒でメーカーに入ったときから電通退職までの約25年間、江上さんの一番のモチベーションだったということですね。ちゃんとしなきゃと言い聞かせてきた。

そういえば、営業実習での衝撃と似たような経験を中学の時にしているかもしれません。中2の時、親に頼んで行かせてもらったアメリカでのサマーキャンプでの思い出です。

プログラムの前半は観光などをして、仲良くなった子と無邪気に楽しく遊んでいましたが、鮮明に覚えているのは日程の中盤で行ったサンディエゴの大きな港。軍艦や船が浮かんだ壮大な景色を、小高い丘の上から見渡しました。


その時になぜか「俺、遊んでいるだけじゃだめだな」と強く思ったんです。カルチャーショックを受けたとか、英語力で自信がなくなったとかそういうことではなく、ただ、痛烈にそう思った。それから帰国して真面目に勉強するようになりました

ーー「ちゃんとしなきゃ」は中2からだった…? と同時に、無邪気な少年から青年への、最初の1歩の瞬間だったのかもしれませんね。

そうですね。サマーキャンプ後から急に寡黙になりましたから。親がうるせえな、家から出たいな、でも1人じゃ生活できねーじゃん、高校出たら働きに出たいな、だめだよな……そんな、よくある思春期の葛藤ですが。笑

ーー幼少期で言えば、お父様が転勤族で引越しが多かったとか。そのことはご自分にどう影響を与えていると思いますか。

他人との人間関係にどっぷりつからないことですかね。

今住んでいる所の学校の父母でも、ここに生まれ育ち、地元の繋がりが強い人もいます。でも私には「
地元!」「ダチ!」みたいなのはない。求めてこなかったんですね。

幼い頃から引越しが多く、どうせ友達になっても3年経ったらここから居なくなると分かっていました。お正月に届く旧友からの年賀状も、その翌年には途絶える。そう知っていたから、人には必要以上に深入りしないように一線を引いていたように思います。

人は人、私は私。ドライな奴って印象を持たれがちかもしれない。客観的に自分を見ているもう1人の自分がいる感じなんです。もちろん
喜怒哀楽はあるけど、40歳にもなって人に感情的な姿を見せたらみっともないと、どこかで思ってるんでしょうね。
でもTV番組の「はじめてのお使い」は泣いてしまいます。
笑

教えたい、育てたい

ーー食えるようになる、を叶えた今、江上さんを突き動かす力とは、何なのでしょう。

ある時気づいたんですが、私が一番好きなことは、人を育て、伸ばしていくことなんだと思います。何かを教えたりして、その人がわかってくれたり、成長してくれた姿を見ることが嬉しい。
16タイプのパーソナリティー診断とかありますよね。あれでも教えることや教師の適性がくっきりと出ていました。

電通時代は、会計部門でマニアックな連結決算などをやっていました。会計士じゃないメンバーにはロジックを説明してあげる。すると「これまで作業として覚えていたけど、なぜこれをやるのかやっと意味が分かりました!」と言ってくれる。たまらなく嬉しい瞬間でした。そういうことがたびたびあったので、そのうち部署内でレクチャーをやるようになって「江上塾」と呼ばれました
ある社員は、私が電通を辞める時に「江上塾が救いだったので」と言ってご飯をおごってくれました。なんか嬉しかったです。

ーー公文の先生だったお母様のDNAですかね。それとも文系だからこそ?

まさにそうで、会計のすごい天才とか、数学的な頭の人は、かえって人にはうまく教えられないんです。私は会計を学ぶとき、ロジックを理解するのにすごく苦労したから、人にどう説明したらいいかが分かるんだと思います。

日本人に自由な働き方と英語力を

ーー海外経験も豊富な江上さんですが、今日本を眺めてどんなことを思いますか。

海外の人と話しても感じるんですが、日本人は優秀でポテンシャルが高いと思います。ポテンシャルって、仕事の丁寧さや、問題をリカバる責任感、約束を守ること。あと、よく日本人はクリエイティビティがないとか言う人いますけど、私はそんな事ないと心から思います。

でも、持っているポテンシャルをなかなか発揮できていないとも思うんですよね。解決策は、働き方の柔軟さと英語能力にあると私は思っています。

働き方に関しては、正直もう少し待つしかないかなぁと思います。転職も身近になっているし、転職エージェンシーの活躍や、NHのような仕組みが広がることで、日本の社会が変わっていくはずです。独立、転職、また会社に戻るとか、そういうことがもっと普通になるといいなと思います。

ーーもう1つの英語力については?

これから専門性×英語の語学学校を作りたいんです。私がやりたいのは、
法務や会計、人事など専門性のある職種で海外の人とガチンコで渡り合う人向けの、ガチンコの英語学校です。

巷にある英会話教室のビジネスコースは、実践的に使えるかどうかでいうと正直ぬるいと感じます。それはビジネスの専門性の部分が弱いからです。

実際に仕事に使うときに必要なのは、その職種での専門用語だったり、相手の国の業務プロセスやビジネス慣習、法律の違いなどです。それを、第一線で仕事をしてきた講師によって教えていく。
扱える専門分野を徐々に増やして、いずれは弁護士や司法書士なども加えて行けたらと考えています。子育てなどで休業している人なんかを講師として発掘したいです。


昨年12月いっぱいでNHのユニットマネージャーの任務を終え、3月で電通から受託していた会計業務のピークも過ぎたので、いよいよ。まず近場でモニターを募り、私が教えてやってみて、反応を聞くところから始めたいです。

ーー独立して立ち上げた会社「リープフロッグ」でそれをやっていくんですね。

はい。Leapfrogは、英語で「飛び級」とか「飛び越す」という意味です。生徒さんやクライアントさんがうまくいくこと、力が発揮しきれなかった人がビヨーンと自由に飛んでいくことを目指しています。

新ステージへ進むとき

ーー何だか、江上さんの中にふつふつと湧き上がる、熱、熱狂のようなものを感じます。

熱狂……そうですね、あると思います。仕事で言えば英語学校の授業のプランを練ること。プライベートでは子供ですね。これが独立した理由でもあるんですが、子供と向き合う時間をしっかり持ちたいです。

本音を言うと、監査法人でも電通でも、経理や会計というのは、心からやりたいと思ってやっていた仕事ではなかったわけです。飯が食える自分を作るため。
きっと電通は辞めないでそのまま勤めていても心地良かったはずです。でも定年退職するときに「なんであのとき挑戦しなかったんだ」と後悔する気がしたんです。

結婚して子供ができると、特に男性は生活を回さなきゃという使命感が大きくなりますよね。やはり自己実現より家族のことが優先になる。だから葛藤がありました。

私は40代半ばで「ぼちぼち独立しても飯が食えるかな」という感覚が出てきた頃にNHの話があったので、すごくラッキーだったと思います。

ーー「やらなくちゃ」を果たし、江上さんの「やりたい」がついに始まるんですね!

会社を辞めたことは上の娘には話しています。「これからお父さんはこういうことをやりたいんだ」と。自分が本当にやりたいことを飯の種にして、道を切り拓いていく姿を彼女に見せられたらいいなと思います。

ーー20年の会計士としてのステージから、新ステージへ。きっといいパートナー、もしかしたら「ダチ!」を得ていくのかも。今、江上さんにはどんな景色が見えていますか?

NHの立ち上げからずっと、ユニットマネージャーとしての仕事が忙しくて、なかなか自分のことができないもどかしさがありました。前に進みたくても進めない。これでは3年5年があっという間に経ってしまうと焦りもありました。

だからまだまだ何もできていなくて、見ているのは霧がかかっている世界だけど、きっとその先は広がっていると信じています。1歩が踏み出せれば、見えてくるはず。まず1つ、実績ができれば。
いよいよ、
今からです。


https://newhorizoncollective.com/

取材・構成・文 = 本間美和
フリーランス編集・ライター
1976年生まれ。日立製作所の営業から転職、リクルート「ゼクシィ」、講談社「FRaU」の編集者を経て、夫と2年間の世界旅へ。帰国後はNPOを立ち上げ「東北復興新聞」を発行。現在は長野と京都の二拠点生活で2児の母。大人な母のためのメディア「hahaha!」編集長。著書に『ソーシャルトラベル』『3Years』。

イラスト=山口洋佑
イラストレーター
東京都生まれ。雑誌・書籍、音楽、ファッション、広告、パッケージなどの様々な媒体で活動。CITIZENソーシャルグッドキャンペーン「New TiMe, New Me」、FRaU SDGs MOOK 、『魔女街道の旅』(著・西村佑子 山と渓谷社)、絵本『ライオンごうのたび』(著・もりおかよしゆき / やまぐちようすけ あかね書房)、テレビ東京「シナぷしゅ みらいばなし」などを手がける。各地で個展なども開催。yosukeyamaguchi423.tumblr.com/


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