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【阿部光史の見たい世界】デジタル時代に、世界中の人がカルタで遊ぶ。新しくて懐かしい「不易流行」が未来のクリエイションを創る。

ーー「見知らぬ土地の話を聞くのが病的に好きだった」。

村上春樹の作品で阿部さんが一番好きだという『1973年のピンボール』の冒頭はこの一文で始まる。

電通時代、CMや広告映像のヒットメーカーとして活躍した阿部光史さん。彼は幼少期から、知らなかった世界と出会うことがたまらなく好きで、その喜びから生まれる熱によって突き動かされるようにモノづくりを続けてきた人だ。

阿部さんが敬愛する、冨田勲さんというシンセサイザー奏者の演奏を、あとでYouTubeで聴いてみた。少年時代の彼が「脳みそふっとばされた」というのが、ちょっと分かる気がした。ものすごく新しいのに、ものすごく懐かしい。1976年のレコードだからではなく、その懐かしさは、自分が生まれる前の人類の記憶、神話のようなものにまで遡っているような気がした。感性の中の、ずっと眠っていた部分が覚醒し、ザワザワし始めたようだった。

阿部さんは人間というものを信じているのだろう。
もっと自分の頭で考えられる。自分の心で感じられる。もっと受動的ではなく能動的に。心の表層ではなく深層に。

だから彼のものづくりは、バラエティ番組のように分かりやすくテロップがついたものではなく、小説を読むような体験に近い。

いい歳になった彼が真剣に作っている、色の名前で読むカルタや、自作の不思議な電子楽器。それぞれの人の中にある、記憶の奥の方に眠っていたものが音をたてたとき。それが彼の求めている瞬間なのだろう。ーー

▶︎この特集【NH230人が見たい世界】は、NHの人々が何を今思い、何を未来に描くのか、外部の人間から迫ったインタビューをお届けします。
聞き手:本間美和 イラスト:山口洋佑

阿部光史(あべみつし)さんのお仕事歴
神戸市生まれ。武蔵野美術大学建築学科卒業。電通関西支社、ビーコンコミュニケーションズを経て、電通本社のクリエイティブディレクター。CMや広告キャンペーンのヒットメーカーとして活躍する。2020年末に退社しNH(ニューホライズンコレクティブ)へ。「未来を書き換えるクリエイティブ」をテーマに、株式会社ガリアーノインスピレーションズを設立。2022年春より東京工芸大学非常勤講師。

クリエイティブ脳の育まれかた

ーー生まれ育ったのは神戸だそうですが、どんな少年時代だったのでしょう。

家は街と山の境目で、すぐ裏が六甲山。目の前には海。神戸の港や、晴れていれば淡路島、和歌山まで見渡せました。

船を見るのが好きでした。大きなタンカーやタグボート、遊覧船が行ったり来たりするのを坂の上や埠頭に座って眺めました。飛行艇が着水するのなんかも見えてね。

神戸は、自然と人工物が入り混じり、海から山までがぎゅっと坂で繋がった立体的な街。友達も全員坂の途中に住んでいて。入り組んだ階段を駆け上がり、塀をつたって抜け道を抜けて、猫のように探検して育ちました。

ーー家ではどんな子でしたか。

3人兄弟の真ん中で、幼い頃はレゴで遊んだり絵を描いたり、一人の世界が好きでしたね。そのうち漫画やアニメに熱中するようになって、小学3年生の時にテレビで始まった宇宙戦艦ヤマトは衝撃的だったなあ。それからプラモデル、ロボット、モーターで動くようなメカがとにかく好きになりました。スター・ウォーズとか宇宙系ももちろん大好きで、小説はご多分に漏れず星新一のSF

小学校の時に兄がハンダごてを使ってラジオを作っていて、すげえ!と思って真似したことも覚えています。兄はすぐ飽きちゃったんだけど、僕は、昔よく売られてた電子工作の本を読みながら完成させてね。そしたら「これ、深夜放送が聴けるんだ」と分かるわけです。小学生なのに23時くらいからのリクエスト番組を聞いたり、新しい音楽に出会ったり。工作が連れてくる新しい世界でした。

忘れられないのが、兄が持っていた冨田勲さんのレコードを聴いたときのこと。ホルストの「惑星」というクラシックの名曲を、当時最先端のシンセサイザーで演奏していたんですが、うわああ!って脳みそ吹き飛ばされちゃって。ある種の原体験ですね。以来大ファンになってレコードを全部買いました。そう、4歳離れた兄から影響を受けたことも多かったですね。

学ランと処女作

ーーさまざまなコンテンツにハマりまくった幼少期を経て、後にクリエイターの世界へ進んでいくきっかけのようなものはあったのでしょうか。

村上春樹さんと同じ高校だったんですけど、高校時代に僕は「工学研究会」という部活に入りました。男子だけのモテとは関係ない世界でね。部室には工具とか材料とかいろいろなものが置いてあって、プラモでも電気工作でも何でも自由に作っていい。作らなくても良い。

あれは高校3年、5月の文化祭。部活の出し物を考えたとき、当時部長だったんで「何でもできるや」と思って、友人1人をアシスタントに頼み、ほぼ1人でアニメ映画を作ったんです。当時は宮崎駿の絵コンテやカメラワークなんかも全部専門書で読んで知ってたから、自分の8ミリカメラで、照明は借りて、とにかく見様見真似で自分が作りたいものを撮影した。

ストーリーは、近未来にメカによって支配され崩壊した神戸市、そこに無傷で残った1人の女子高生。敵はAIで動いている米軍の戦車M1エイブラムス。やられそうになるんだけど、ある人に託されて得た力を使って変身してやっつけちゃうという3分くらいのアニメ。

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文化祭当日、理科室の半分を黒い幕で覆って映画館に仕立て、部屋の外では部活のメンバーが作ったものを展示していました。ついに迎えた上映会の初回。後輩がクラスの連中を連れてきて、15人ぐらいが座って上映が始まった。僕は後ろに立ってドキドキしながら見ていました。

そしたら、ポイントポイントで反応があるじゃないですか! 笑って欲しいところで笑いが起こり、驚いて欲しいところで「おー」とか歓声が上がって、最後はわあって拍手が起こったんです。僕、びっくりしてしまって。自分が込めた思いのままに人の心が動いた。背筋がぞくっとするほど感動したのを覚えています。

情熱だけで作って、人に見せて、みんなが喜んで拍手した、最初の経験。17歳。その拍手は、その後の僕の人生をかなり決定してしまったと思います。ものでも、ストーリーでも、ロボットでもいい、人が感動するものを作りたいと思った。

ーーものづくり少年の青春。いいですね。

それから美大の建築学科へ進み、建築家になる前に社会を知ろうと電通に入社して、なぜか広告クリエイティブの道に進むわけなんですが、ベースにあるものはこのときから変わってませんね。人が喜んだり笑ったりしてるのを見るのが好き。

仕事では、アイフルの「どうするアイフル」ってチワワのCMを作ったとき、2年連続好感度日本一をいただけたんですね。好感って、つまり好きってことですよね。このことは割と自分を支えてくれています。自分が作るものはそう悪いものじゃないぞと。

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サムライとロボット

ーー2021年に電通を退職し、NHに移って立ち上げた新会社のコンセプトは「イノベーションとクラシック」。この「クラシック」という言葉が気になったのですが。

新しいものを世に生み出すには、単に技術が新しいだけじゃだめなんです。社会に受け入れられるかどうかだったり、根元の部分が人のためになっているかどうかが大事で、そういう意味で「クラシック」が鍵になると思います。新しいってだけでは伝わらない。

「不易流行」という芭蕉の時代からの考え方があって、新しく生まれるものの中には本質的で普遍的なものがあるよ、昔から変わらないものの中から新しいものが生まれるんだよという意味です。

我々の中にある良いDNAのようなものが、新しい形で受け継がれていくことに、これからは価値があるんじゃないかと思うんです。街並みも文化も、食べ物とかも含めて。

ーー阿部さんが電通時代に手掛けた安川電機の映像コンテンツ「YASKAWA BUSHIDO PROJECT」は世界中で1700万Viewというヒット作ですが、なるほど。イノベーションとクラシックという目で見ると腑に落ちます。

まさに最先端と古典ですね。ロボットと侍が刀で競い合うという。しかもどっちも日本ドメインだから、世界の人たちに面白がってもらえるだろうなと思いました。で、ウケました。

ーー阿部さんが製品化したカルタ、「iC(アイシー)」もそうですよね。文字がなくて、カードの中にある3色の色の名前を言っていく。アート作品みたいな絵札を取る。新しいけど普遍的です。

そうそう。コトバを読み上げてフダを取るルールの、カルタという日本古来の遊びに、新しくてグローバルな感覚を融合させています。まだ海外には売ってないんですけど、夢は世界の人が国籍を越えてiCで遊ぶっていう姿が見たいってことです。

数年前には、小型コンピューターを使って電子楽器を作ったんです。板の上にひもがあってそれをスライドさせるとデジタル音が鳴るっていう。その演奏動画をYouTubeでアップしたんですけど、楽曲はサン=サーンスの「白鳥」。最新のツールでクラシックを演奏する不思議さ

かつて冨田勲先生も「シンセサイザーという新しい絵筆で、古い絵を書いた」と言っていましたし、そういうものに僕は面白さを感じているんだと思います。

言葉よりもタンジブルな何か

ーー阿部さんってどこか、浅いところにある安易な言葉を信用していないのかもしれないと感じました。身体的だったり、体験・体感的、物語的……というか。

確かに、ものづくりは何でも好きだけど、文章やコピーを書くよりは実際に作る方が好き。「空間に存在していること」「タンジブル(実体のある・手触りのある)なこと」を割と重視してきたかもしれないですね。

それで思い出したのが、旅の話。大学時代に、また兄に影響を受けて海外に行くんですけど、アメリカ、北アフリカ、ヨーロッパ10カ国、ぜんぶ一人旅だったんです。あれもこれも見てみたいと超過密スケジュールだったから一人が気楽だったのもあるんですけど、本当の理由は「言葉について」で。

当時の僕は、旅先での体験をすぐに言語化して誰かと共有すると、なんか薄まる気がしてたんです。いいものを見て、友達と「きれいだねー」とか言い合ったらそれで終わってしまう気がした。旅の間じゅう、ずっと咀嚼して、ずっと考えて、体の中に染み込ませる。あるときにふっと答えが見つかったり、何かと繋がったりする。そのためには、一人がいいと思っていました。

とか言ってるけど、まあ、一人がカッコいいと思ってたんでしょうけどね。笑

物語、記憶、旅 

ーー確かに、アイフルのCMも言葉的じゃない作品ですね。間、シチュエーション、チワワの眼差しによって心にぐっとこさせる。言葉は「どうする?」という投げかけの一言だけ。

「面白いものを作りたい」と言いましたけど、「面白い」って英語だとfunとかsillyとかinterestingとか語彙がいろいろありますよね。その点日本語は不自由で、「興味深い」とかあまり言わないし、言葉が足りないなと思うんですね。

ともあれいろいろな意味で捉えた時に、
何が面白さを作るのか。僕はある時「面白さって、人の記憶にアプローチしているんだ」と気付きました。

アイフルのクーちゃんがウケたのだって、個々人の犬を買いたいと言う気持ちや、昔飼っていたペットの記憶があるから、その記憶にアプローチして、それを少し揺らしてあげると感情が動く。

ホルストのクラシックの名曲をバキバキにクールな電子音で演奏することも、カルタを色の名前で取ることもそうかも。頭の中にあった記憶や「こういうもの」って固定概念を揺るがせることが面白さにつながるんだと思います。

ーー村上春樹の『1973年のピンボールマシン』も、記憶と喪失の物語ですね。阿部さんのお話を聴いていると、物語、時空、旅、みたいなキーワードが浮かんできます。

そう、旅は自分の人生で一番大事にしている価値の一つです。ある時気付いたのが「なんだ、今生きていることが旅じゃないか」って。物理的にどこか行きたいっていうのも旅だけど、今まで知らなかった新しいことを知るのも旅じゃないですか。

何より、我々はいつも時間の中を旅している。昨日寝た寝室と朝起きた寝室は別のもの。どうしたって次の日に勝手に連れていかれる。

船旅もいいよね。次の夏行きたいなと思ってるんですけど、船がホテルになっていて、寝ている間に時間の海に乗って次の街へ。次の日にはまた別のことが起こって、昨日とは違う自分になっている。

だから必死でどこかに行かないといけないわけじゃない。今日という日も旅の1日。なんでも旅になぞらえて考えるようになりました。アクシデントも日常も旅。そう思うと、平凡なんてなくなる。

ひどい目に合う1年にする

ーーご自身のブログに、2022年の抱負として「ひどい目に合う」とありました。とかく年齢を重ねると守りに入って、ひどい目にあいたくないから右往左往するんですけど。阿部さんは結構ストイックなことを言うなあと思いました。

ひどい目に合うのは僕も嫌ですけどね。笑
あえてそう書いたのは、本気で新しいことをするという決意なんです。全くやったこともないことをやることによって、想像もしなかった問題が起きて、考えていなかった解決策を探さないといけなくなる。それは一つの新しい経験になって、もう次からはできるようになる。

頭の筋肉痛のようなことが起こって、その後少し強くなる感じかな。今年はそういうチャレンジをやっていきたいと思ったんです。いい歳になったからこそ、あえて。

ーー電通を退職し、NHに加わったのが54歳。いま1年が過ぎました。この先のご自分の人生ビジョンをどうイメージしていますか。

いま、水泳やボクササイズを妻と一緒に結構本気でやってて、やたらと元気なんですけど、体を鍛えるのは維持のためでもあり、あらゆる力は衰えていきます。それに広告というのは基本若い人の仕事だと思うので、いずれ身を引くと覚悟している部分もあって。じゃあそのあと俺は何をするんだと考えるわけです。

広告の他にやりたいことを挙げてみたら、映像、インターネットコンテンツはもちろん、お店やオフィスの建築や空間プロデュース、電子機器やマシン作り、電気通信工事業……と新会社の定款が膨れ上がってしまった。笑

一体この先どうしようか。年表を書こうとしたこともあるけど、やりたい事が多すぎて結局何も書けなかった。何歳まで元気かだってわからない。だからこそ頭の筋肉痛を起こしつつ、好きなことしなくちゃなと思います。

でもとにかく今、毎日が楽しいし、充実した気持ちでいます。今回いろいろ振り返ったけど、神戸の少年だった頃の自分には「なかなか興味深い人生になってるよ!」と伝えたいですね。


取材・構成・文 = 本間美和
フリーランス編集・ライター
1976年生まれ。日立製作所の営業から転職、リクルート「ゼクシィ」、講談社「FRaU」の編集者を経て、夫と2年間の世界旅へ。帰国後はNPOを立ち上げ「東北復興新聞」を発行。現在は長野と京都の二拠点生活で2児の母。大人な母のためのメディア「hahaha!」編集長。著書に『ソーシャルトラベル』『3Years』。
イラスト=山口洋佑
イラストレーター
東京都生まれ。雑誌・書籍、音楽、ファッション、広告、パッケージなどの様々な媒体で活動。CITIZENソーシャルグッドキャンペーン「New TiMe, New Me」、FRaU SDGs MOOK 、『魔女街道の旅』(著・西村佑子 山と渓谷社)、絵本『ライオンごうのたび』(著・もりおかよしゆき / やまぐちようすけ あかね書房)、テレビ東京「シナぷしゅ みらいばなし」などを手がける。各地で個展なども開催。yosukeyamaguchi423.tumblr.com/

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