【森田直樹の見たい世界】ものづくり少年はいつしか本気の夢を見る。 ドローンが世界中のラストワンマイルを担う、新しい空を。
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【森田直樹の見たい世界】ものづくり少年はいつしか本気の夢を見る。 ドローンが世界中のラストワンマイルを担う、新しい空を。

New Horizon Collective

ーー「世界の空を変えたいんですよ」。彼は照れもせずにまっすぐ言った。

子供の頃はこれといった夢はなかったと言っていた。なのに今目の前の58歳が語るこの言葉は、まるで少年の語る夢じゃないか。そう思った。

クリエイティブ畑35年から、NH(ニューホライズンコレクティブ)へ。20年以上趣味で続けてきたラジコン飛行機の仲間たちと、ドローンの会社を立ち上げた。ヤマト運輸が行う山間地域で高齢者へ薬を配達する実証実験にも参加し成功させた。

ラジコン飛行機と言っても、森田さんの扱うものは一機約百万円のハイエンドな機体で、空中で演技をする競技で全国大会にも出場する腕を持っている。操縦だけではない。航空力学、設計、整備、飛行機に関するあらゆるノウハウがある。

ものづくりに没頭する人なのに、いわゆるオタクという感じがしないのは、大会に出たり仲間がいたり、外へ外へと世界が開かれているから。森田さんには、いつも大空を見上げているような、光と空間が目の前に広がっているような雰囲気がある。

闇がない、暗さがない。人を喜ばせたいけど、「世の為人の為」的な献身ではない。富も名声もピンとこない。

手掛けた「Just do it」のCMから、ドローンで品物を届けたおじいちゃんの笑顔まで。森田さんはきっと、さっきまで存在しなかった感動によって、人の心が開いていく様を目撃したいのだ。純粋な好奇心と素直さで。

インタビューの最後、彼がバーチャル背景を外して部屋を見せてくれた。巨大な模型飛行機や工具が並び、思わず「男子の部屋ですね」と言ったら「ですね」と言って、初めて照れ笑いした。ーー

▶︎この特集は、NHの人々が今何を思い、未来に何を描くのか、外部の人間から迫ったインタビューをお届けします。聞き手:本間美和 イラスト:山口洋佑

森田直樹さんの仕事歴: 
広告制作会社でコピーライター2年、マッキャンエリクソン15年を経て、電通で18年間クリエイティブディレクターとして活躍。3社計35年のクリエイティブ人生。2021年退職、NHへ。自身の広告クリエーティブ会社を設立。さらに同年4月に産業ドローンの会社「空解(くうかい)」をラジコンのエキスパート4人で立ち上げ、代表取締役兼CMOに就任。

世界屈指のスペックのドローンを生み出した。

ーーNHには、電通での職種や経験に関わりなく好きなことを仕事として始める人も多いですが、中でも森田さんの「ドローンの会社をつくった」という飛躍には驚かされました。詳しく教えていただけますか。

僕は社会人になってから20年以上ラジコン飛行機が趣味でした。
趣味といっても結構本格的で、僕がやっているのは「エアロバティック」という、空中に図形を描いたり演技をして芸術性を競うハイエンドな採点競技
2メートルくらいのサイズの模型飛行機をリモコンで飛ばすんですが、いわゆるラジコンでイメージする模型飛行機が普通の乗用車だとすると、F1カーくらいの高性能な機体を使っています。一機約百万円です。

昨年4月に、エアロバティックの仲間で「空解(くうかい)」という会社をつくり、ドローンによる長距離輸送サービスという新しい世界をつくろうとチャレンジしています。
僕らのチームには世界チャンピオンもいるし、日本でもトップレベルの人たちばかり。高い操縦技術を持っているだけでなく、飛行機の設計から航空力学、性能面、安全面、整備などなど、遊びながらも真剣にあらゆる力をつけてきた仲間です。

これからドローンの時代が来る。オート飛行でドローンが空を飛び交う時代がくるだろう。そんな舞台できっと役に立つし、もちろんビジネスとしても成立するはずだと考え、長距離型のドローンを作ることにしました。試行錯誤の末、かなりのハイスペックが出たので、法人を作り世の中にアピールしたのが去年の春です

ーーさらりとご説明くださってますが、何だかものすごい話ですね。知らなかった世界…。

ははは、マニアックですよね。
皆がよく知っているプロペラが4つあるドローンは「マルチコプター型」と言って、安定していますが物を運ぶには最適ではないんです。20分ぐらい、つまり片道4㎞往復ほどしか飛べないので。それだと自転車でも原付でも行ける距離なので、もう少し距離が出ないと使えない。

僕たちが独自で設計して1から作ったのは「ブイトール型」と言って翼がある飛行機タイプ。飛行機タイプだと普通は滑走路が必要になるんだけど、僕らが作ったのは垂直に離着陸できて上空から滑空できるものです。小さなバッテリーの電動式、そして操縦ではなくプログラミングによるフルオートで、距離120㎞、120分間飛べる。機体もすごく軽いです。僕らの機体ほどのスペックのものは、今まだ世界的にもあまりないと思います。

4月の会社設立から、7月に実証実験に成功し、プレスリリースを出したらどんどん引き合いが来て大忙しでした。ヤマト運輸と岡山県の和気町(わけちょう)が行った個人宅への医薬品の配達の実験にも2ヶ月間参加しました。
片道8から9キロ、山村集落に飛ぶんですが、車で20分かかるところにドローンで8分で届けられると分かりました。
高齢の方、免許を返上している方、体調が悪い方には、移動しなくて良いのが最大のメリットです。人が移動しないのでCO2の削減になるし、ウィズコロナの文脈では非接触であることも魅力ですよね。
今後ますます「移動弱者」が増える地域、山村地域で活躍できると思います。

ーーワクワクしますね! その先に、空解ではどこを目指すのですか?

世界の空を変えたいと思うんです。大きなこと言うけど、結構本気で。
国土の狭い日本だと、20㎞も行けば病院か薬局か何かしらあるので、正直120㎞も飛べる必要はあまりなくて、もっと国土の広いところのほうが役立つと思っています。例えば北米やオーストラリアでは町が点在しているので病院まで50㎞、100㎞とかザラなんですよね。あわせて今、300㎞くらい飛べる大型機も開発中なので、完成したら世界中でもっと活躍できると思います。

一方で輸送重量は挑戦中の課題。今運べる重さは2.5kg。大型機を開発できても8㎏から10㎏弱。でも、足りなければ複数機飛ばすこともできるし、場面にあわせて充分いろんな形で役に立てるんじゃないかと。

もう1つ夢があって、子供たちのための「無料ドローンスクール」を開校したいなと。
こんなに成熟した国なのに、食べられない子や教育を受けられない子がいるって厳しい状況があるじゃないですか。寄付するとか解決策はいろいろあると思うんですが、僕はドローンの会社で、次世代のドローンオペレーターを育てたい

ドローンの操縦って、運動神経とか動体視力、ゲームと一緒で子供の方がうまいんですよ。この先ドローンを操れる人材がもっと必要になってくるので、育てて、資格を取ってもらって、そしたら高校生位になったらお金が稼げるようになるから。

クリエイティブ職につくなんて思っていなかった。

ーーそもそも、どのように電通、クリエティブの世界へ?

僕は大学受験も失敗したけど、実は就職活動が人生一番の挫折だったんです。

当時の就職戦線に乗って、電通を含め広告代理店の営業職を軒並み受けて全落ち。クリエイティブ職の発想はなくて、やっぱり代理店の営業って花形かなと思って営業志望だったんですよ。

それで仕方なく、まだ募集していたグラフィック中心の広告制作会社の面接へ行ってみたんですが、コピーライターとデザイナーしか募集していなくて。コピーライターなら文章を書くことだから僕にもできるかな、と思って受けたら通ってしまった。偶然みたいな形でクリエイターの卵になったわけです。でもやってみたら結構面白かった。これは本気でやってみようと、2年半、修行だと思って頑張りました。

そのうち世の中が景気よくなりバブルが始まったんですね。中途採用の求人が増えてきたので毎朝、新聞の求人欄をチェックしてたら、マッキャンエリクソンの募集が出たのでこれだ!と思って面接を受け、そこから15年勤めました。

その後2003年、41歳の時に電通に転職し、そこから18年。コピーライターからクリエイティブディレクターという世界で35年生きてきました。

大好きなんですよね。商品ブランドを作っていくことや、表現を作っていくことが。すなわち世の中の人に喜んでもらう、人の気持ちを動かすことだから
大失敗だった就職活動でしたけど、結果としてこんな面白い道につながっていたのだから、捨てたもんじゃないですね。

ーーなかなかドラマチックですね。そんな広告人生の中で、特に心に残っているお仕事は何ですか?

手ごたえがあった仕事は、マッキャンエリクソン時代、ナイキの担当をしたことです。

「Just do it」のキャンペーンを初めて日本に打ち出すとき、ふさわしい人を探し続け、盲目の幅跳びジャンパーである、パラリンピックの金メダリストを起用しました。
当時はまだパラリンピックはマイナーだったし、身体障害者といえば「かわいそうだなぁ」という目で見ている人がほとんどだった気がします。そこを、「ハンディキャッパーも頑張っているんだな」にするだけでなく、さらに「ものすごいスーパーマンなんだ」と気づいて欲しかった。こんなこと自分にできるだろうか。絶対無理だ。なんて勇気のある偉大な人なんだって。

ドキュメントタッチでシーンを綴り、本人の声のナレーションで「暗闇の中で前に体を投げ出すのは、恐怖だった。でもそれは今 僕の喜び」と入る。ジャンプの瞬間に初めて「盲目」という一言が画面に出るCM。ものすごい反響をもらいました。小学生の子から励まされたと手紙が来たりして。スポーツの力を感じてもらうことができて嬉しかったです。

電通ではずっと大手メーカーの担当だったので、TVCMやオリンピックのキャンペーンなど大きなプロジェクトに携わらせてもらいました。
そんな中でも、マイルストーンとなった仕事は比較的小さな仕事。スクールIEという個別指導塾の「やる気スイッチ」のCMを作ったことですかね。
塾の募集って2月にちょっとだけやるCM。視聴者1人が1、2回見るかなという小さな枠なので、どれだけインパクトを出せるか考えて最後少年が裸で走る演出になったんですが、すごく好評で結局5〜6年同じCMを使ってくれました。

なんでも面白がる。いつでも新人気分。

ーー「Just do it」の次に出てきた事例が「やる気スイッチ」…!でも負けず劣らずあのCMは脳裏に強く残っています。

僕、基本がポジティブシンカーで、どんな仕事も「こうやったら面白そうだ」という部分を見つけられるから、この仕事は嫌だなぁとは思わないんですね。
それは、最初に大企業ではない会社にいたせいかもしれません。僕に来るのは小さい仕事ばかりだったから。でも気づいたのは、「仕事のサイズに貴賎は無い」ということ。売り上げ額は低くても、クリエイターとして全力を出してものづくりをしていくことには変わりない。

例えばチラシの仕事が来たとき「ちぇ、チラシかよ」とは思わなかった。そう思う人もいるかもしれないけど、僕は「日本一面白いチラシ作っちゃおうかな」と考えました。たとえチラシでも、攻めてるもの・面白いものを作っていれば、そういう心意気は絶対伝わるし、経歴になって残る。
2年後にマッキャンの転職面接で「2年しかやってないのに面白いもの作るね」「完成度は高くないけど攻める気持ちがあるね」と言われ、採用につながりました。僕は、つまんないTVCM作ってるより、面白いチラシ作ったほうがかっこいいと思う。

ーーエリート街道、学歴もピカピカという人が多いイメージがある広告業界で、森田さんは意外に叩き上げ系なんですね。

誇りは持った方がいいけど、変なプライドは邪魔なだけだと思います。心がけているのは、いつも気持ちはフレッシュに。いつも新人の気分で。

田舎育ちとか大学名とかへの劣等感も、全然持ったことないですね。僕が生まれ育った鳥取県の米子はすごくいいところだし。田舎ってことは事実かもしれないけど、優劣とかはどうでもいい。
学歴も、クリエイターの世界ではあんまり意味ないなって。東大だろうが中卒だろうができる人はできる。アイデア勝負だし、どれだけ努力してどれだけスキルを積めるか。そう知れたことで逆に自信になったと思っています。

大きな山が常に見える、開けた視界で育った。

ーー米子で育ったとのことですが、どんな幼少期だったんですか?

心に残っている原風景は、大山(だいせん)。中国地方で1番大きい、富士山みたいにきれいな山です。実家から大山が正面にどんと見えて、広い空と大きな山の安心感の中で育ちました。

夢はなかったけど、小学生の頃から好奇心旺盛でものを作るのが好きでした。工作から始まり、プラモ、電気工作、絵を描くのも料理も好きだった。

人が考えないような面白いことを考えるのも好きでした。今で言う企画ですよね。小学校6年生の時、勝手に放送部を作って毎朝始業前に好きな曲を1曲かけるというのをやっていた時期がありました。先生に怒られながら。今でいうDJですね。結構ウケましたよ。

アセット 1@3x-100

ーーものづくりが好きだった少年がそのまま大人になって今に至る、という感じなんですね。

そうですね。人生やりたいことしかやってこなかった。恵まれていたんだなと改めて思います。

大変でも、好きなことだったらハードルを越えていける。ラジコン飛行機やドローンが大好きだから、今頑張れていると思うし、自分たちが好きなことがビジネスになって、さらに世の中に役に立てたら最高だって本当に思います。

広告もドローンも一緒で、人が喜ぶこと、感動してくれることが一番楽しいし、それが半分目的だったりします。「すごいですね!」とか「こんなの見たことないです」と言ってもらうことや、薬を届けた山村の高齢者の方から「ありがたい、ありがたい」と喜んでもらうことは、僕にとって最高の報酬です。

料理だって、おいしいと言って欲しいから作ってるって部分ありますよね。ウケないとすごく悔しい。食べた人の「わあ!」っていう顔が見たいがために、レシピを見て何度も試作して、徹底的に研究します。のめり込むタイプなんでしつこいですね。好きなことに関しては。

でもそのしつこさが結果的に、ある程度の領域まで到達できるってことでもあります。チラシも飛行機もそうだけど、諦めないでやっていれば力はつくんですよね。

素直に機嫌よく。それがパフォーマンスにつながる。

ーー大義とか使命とか難しく考えず、目の前の面白いことに夢中になっていたら道が勝手に拓けていく…。森田さんからはそんな力みのない、でも勢いのある推進力を感じます。まるで帆を張ったボートみたい。そんな中でも日頃から意識して心がけていることは何ですか。

自分に嘘をつかない。自分らしさを失わず、正直に生きたいということです。
そのためにも、過度に自分に期待をしない。ストレスをためない。自分の意に反することをやっていくとストレスなので。

そして精一杯やること。そしたら後悔しないから。あれだけやったから仕方ないと思えるくらいは力を尽くすことです。

あとは、健康あっての仕事なので、無理はしない。睡眠時間は削らない。体はメンタルのコンディションとつながっていますから、基本、元気で機嫌よく。面白がってやらないといいアイデアも浮かばないし、いいものづくりもできない。辛そうにやってると辛そうな作品しか生まれないので。

あとこれは信条ってほどのことじゃないけど、いつも言い聞かせてきたのは「3割打者でオーケー」という言葉です。広告だって10やって3つヒットしたらスター。つまり7割は失敗してもいいと気楽に捉えるようにしています。

ーー森田さん、すごく明るいですよね。陽気な性格という意味ではなくて、広い空の明るい方を向いている感じ。同じ空を見てもよどみや哀愁に目が行ってしまう人もいると思うんですが、森田さんには空間が開けるところへ進む嗅覚のようなものが備わっていて、それで必然的に自分らしさを守れるのかもと…。

なるほど。そういう言い方もできるかもしれませんね。
25年前、結婚を期に都心から少し離れたちょっとゆったりしたところに住み始めました。大都会の雰囲気は得意じゃないので。
仕事が忙しくても、庭があって静かなところで一旦心をリセットし、自然の中で大好きな犬の散歩をして…という生活が自分にとっては大事でした。

無意識に、幼少期のフィーリングそのまんまでいけるような環境を選んできたのかも。好奇心旺盛に面白いものを見つけて、そこに純粋に取り組んで喜びを得る。そこは昔からまったく変わってないなと思います。もちろん大人だからいろいろあるんだけど、できるだけそこに余計な打算や事情を入れないようにしたい。ピュアな思いからブレないようにしたい。

そうやって素直に生きて、ストレスが少なく、それで成果が上がれば最高ですね。まあ100パーセントは無理だけど、3割できたら上出来ですから。

空解   https://www.qu-kai.jp/

New Horizon Collective WEBSITE


取材・構成・文 = 本間美和
フリーランス編集・ライター
1976年生まれ。日立製作所の営業から転職、リクルート「ゼクシィ」、講談社「FRaU」の編集者を経て、夫と2年間の世界旅へ。帰国後はNPOを立ち上げ「東北復興新聞」を発行。現在は長野と京都の二拠点生活で2児の母。大人な母のためのメディア「hahaha!」編集長。著書に『ソーシャルトラベル』『3Years』。
イラスト=山口洋佑
イラストレーター
東京都生まれ。雑誌・書籍、音楽、ファッション、広告、パッケージなどの様々な媒体で活動。CITIZENソーシャルグッドキャンペーン「New TiMe, New Me」、FRaU SDGs MOOK 、『魔女街道の旅』(著・西村佑子 山と渓谷社)、絵本『ライオンごうのたび』(著・もりおかよしゆき / やまぐちようすけ あかね書房)、テレビ東京「シナぷしゅ みらいばなし」などを手がける。各地で個展なども開催。yosukeyamaguchi423.tumblr.com/

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2021年1月に設立されたニューホライズンコレクティブ合同会社の公式noteです。 人生100年時代の新しい働き方・生き方にチャレンジする約200名のメンバーのご紹介や、NH(New Horizon Collective)の活動内容を発信します。