良い人間関係さえあれば幸せだ。電通を退職し、地域活動を通じて「関係資本主義」の新たな世界へ。――池田一彦さん。
ライフシフトをした人たちのストーリーを紹介する連載「ライフシフトの向こう側」。実際にライフシフトをし、現在は仕事のほか、複数のソーシャルな活動をしているのが、beの池田一彦さんだ。
それらの活動は、「未来は変えていける」と感じさせてくれるし、池田さんの選択は、ワクワクしながら「では自分はどうしようか」と考える大きなヒントをくれる。
一歩でも、半歩でも、きっと踏み出せるはずだ。
▶この特集では、ミドルシニアが自身の経験や好きなことを発揮できるあたらしい『出番』を創出する「ライフシフトプラットフォーム」に所属するメンバーのライフシフトの体験と未来をお届けします。
聞き手:小久保よしの イラスト:山口洋佑
育休を使ってキャンピングカーで日本一周旅行をし、価値観がシフト
――池田さんは、広告業界にどのように関心を持って、入ったのですか。
池田:大学では、理学部物理学科で基礎研究をしていました。物理学科って、それが具体的に何の役に立つのかは分からない分野の研究をするんです。そこがおもしろさでもあるんですが、僕の場合は「世界の何に影響していくのだろう」と疑問を持ちました。
一方、「分かりやすく社会に影響を与えている」と惹かれたのが広告業界でした。周囲はほとんどみんなが大学院に進むような環境でしたけど、大学卒業後は広告業界に入ろうと決め、アサツーディ・ケイ(現・ADKマーケティング・ソリューションズ)に入社しました。その10年後に電通に転職したんです。
仕事は、めちゃくちゃおもしろかったです。もの・サービスをつくっている会社でもお客さんとの最初の接点は広告になります。社会に与える影響がとてもわかりやすく、華々しい部分ですから、やりがいを感じていました。
当時の僕はプランナー。プランナーは、複数のクライアント企業と仕事をするのが一般的ですが、あるとき僕は「一つの企業のすべての広告をやってみよう」と決め、実践してみました。その企業の経営戦略、事業戦略、広告など全部です。そうしたら、その会社のことに誰よりも詳しくなったんですが、営業担当より詳しくなってしまって、みんなが僕に「これはどうなんですか」と聞いてくる状態に……。
それがとてもしんどいと感じていたとき、子どもができたと分かりました。「これは何かのおぼしめしだ」と思って、育休を取得することにしたんです。育休を5ヶ月間取って娘と妻で過ごしたら、すごく楽しくて「こうやって家族と過ごすのがいいな」と感じました。
――それがライフシフトのきっかけに?
池田:はい。ライフシフトのきっかけは二つあります。一つ目が、2回取得した育休です。一人目の育休のとき、「もし二人目に恵まれたら、また育休を取ってみんなで旅に出たいね」と妻と話しました。サラリーマンが長期旅行に行くには育休しかない、と思ったんです(笑)。
そうして二人目に恵まれまして、次男が生後6ヶ月になったときに旅に出ました。はじめは船で世界一周をしようと思ったんですが、0歳児は乗れないことが分かり、方向転換して「日本一周をしよう。観光名所ばかり見てまわる旅ではなく、暮らしをじっくり見よう」と決めたんです。この決断には、ソーシャル系のライターをしている妻の希望がありました。
家族4人でキャンピングカーに乗り、北は北海道、南は屋久島まで行きました。僕は電通にはおもしろい人が集まっているので、多様な人と関わっているつもりでしたが、旅に出て「思っていた多様性の範囲が狭かった」と気づけたんです。僕が知っていたのは、右肩上がりの経済を目指したベクトルのなかの多様性だった、と。
最も印象的だったのが、自給自足で暮らすチャレンジをしている北海道の三栗祐己さん家族を訪ねたことです。三栗家は自分で家をつくり、畑もやって、家族4人で幸せそうに暮らしていました。さらに、子どもが僕に目を輝かせながら、「ねぇねぇ、昨日ね、トイレに電気が付いたんだよ!」と嬉しそうに教えてくれたのです。僕は、「今の日本で、トイレに電気が付いてこんなに喜べる子どもがいるだろうか?」と衝撃を受けました。
――幸せそうな姿に、考えさせられるものがあった、と。
池田:そうなんです。彼らがなぜ幸せそうなのかと考えてみたら、暮らしをつくることをみんなで行い、それが仕事になっていました。暮らしと仕事が一致していて、それが家族の喜びにも直結している。シンプルにつながっていました。
昔は自分たちの暮らしをよくするために仕事があったのに、今は細分化されている。社会の全体像が見えづらく、仕事が自分にどう返ってくるのか見えづらい――。僕は「暮らし方、生き方として、仕事と家族との暮らしを近づけたほうが幸せそうだ」と考えるようになりました。
資本主義社会だと、グッド(善いこと)よりグロース(成長)が優先されてしまう仕組みなんですよね。環境にいいことをやるか、存続を選ぶかという2択があれば、企業は後者を取るしかない。僕はこの旅で、企業や政府主導のトップダウンで世界を変えるよりも、家族や地域からボトムアップで世界を変えることに時間を使ったほうが幸せだと気づきました。
「良き人間関係があれば幸せ」という研究に衝撃を受ける
――もう一つのきっかけとは何だったのですか?
池田:精神科医のロバート・ウォルディンガー氏による、TEDの「What makes a good life? Lessons from the longest study on happiness」という映像を見たことです。
「幸せと最も関係しているのは、お金、権力、仕事の内容ではなく、良き人間関係だ」というハーバード大学の研究で、衝撃を受けました。この内容は、今は『グッド・ライフ 幸せになるのに、遅すぎることはない』(辰巳出版)という書籍になっています。
僕のなかで、日本一周の旅の経験とこの研究が結びついて、「人との関係性のなかにこそ、幸せがあるんだ」という確信に変わりました。そこで、これまでのような経済成長ではなく幸せが目的の世界を「関係資本主義」と名付けました。「関係性」を「資本」ととらえれば、お金だけに頼らない良きパワーを持つ幸せな世界に近づくのではないかと考えたのです。
そんな確信がありつつも、変わらず仕事をしていたのですが、日本一周の旅の2年後に、このライフシフトプラットフォーム(LSP)ができると聞いたんです。聞いた瞬間、すばらしい仕組みだとピンときて、すぐ妻に相談して電通を辞めることを決めました。
――最終的に背中を押されたのはLSPの存在だったのですね。
池田:はい。違和感を持っていても、人はなかなか動き出せないんですよね。「辞めて食っていけなくなったらどうしよう」「フリーになって仕事がこなかったらどうしよう」「家族を抱えてどう生きていこうか」などといろいろ考えがちで。一歩踏み出せない大きな理由は、不安くらいしかないと思います。
僕はその不安とどう向き合ったかというと、最悪のパターンをシミュレーションして、「たいしたことないな、なんとかなるかな」と思えたんです。別にアルバイトをしてもいいし、日本でなら生きていけるだろう。そのとき後輩に「今アルバイトをしているんだ」と隠さず話せるな、と。だから2、3時間で決断できました。
2020年12月に退職しました。そして「何をするかよりも、どうあるか」という思いから、「be」という会社を妻と設立しました。会社がどうあるべきか、茅ヶ崎の海辺で焚き火をしながら二人で考えたんです。「家族の幸せが一番、地域の幸せが二番、日本と世界の幸せが三番。」というコンセプトを決めました。
「こども選挙」などの地域活動から「関係資本主義」の世界をつくりたい
――その後2021年9月に、茅ヶ崎の海辺にコワーキング&ライブラリー「Cの辺り」をオープンしましたね。
池田:はい。「Cの辺り」では、「関係資本主義の仕組みを生み出すための社会実験をする」ことをテーマの一つにしています。関係資本主義の世界を茅ヶ崎でつくり、全国に広げていきたいんです。
その一つが「こども選挙」。市長選に合わせて子どもたちが実際の候補者に質問して、インタビュー映像を公開し、子どもが投票をする活動です。ボランティアの60人の方たちと11箇所の投票所をつくり、5000枚のチラシを配りました。最終的に、566人の子どもが投票してくれたんです。
これを全国に広げていこうとしていて、埼玉県さいたま市、鳥取県鳥取市、香川県さぬき市の3地域で始まっています。ただの市民活動でしたが、「第17回キッズデザイン賞」で最優秀賞・内閣総理大臣賞を受賞することができ、希望も感じました。
――まさに、グッドワールドを回しているんですね。
池田:「Cの辺り」では、隔週で「ハッピーアワー」も行っています。「池田家がご飯を食べているから、持ち寄り制でいつでも来てください」という活動です。あるとき、メンタルの調子を崩していた方がふらっと来てくださって、「救われました」と言ってくれました。誰かの居場所になれるなら、開けておく意味があるので「ここをつくってよかった」と感じました。
地域の仲間と「茅ヶ崎カンパニー」をつくりました。「まちがまるごと仮想会社」というコピーで、まちで活動や企画をやりたい人と、サポートしたい人をマッチングさせてチームにするプラットフォームです。みんながクリエイティビティを社会に費やすことができれば、本人も幸せで、社会も良くなっていくはずです。自ら実践していきたいですね。
――最後に、今ライフシフトについて悩んでいる人へメッセージをお願いします。
池田:人生をシフトするときの最大の敵は、不安だと思います。その不安に向き合うために、今だから思うことが二つあります。
一つは、「今の環境(会社)にいても始められるのではないか?」。僕は、会社員時代には全く地域に関わっていませんでした。でも、会社員をやりながらでもできる地域活動はあります。今の環境でも実はできることがたくさんあり、少しずつ始めると不安が減っていくと思います。まずは動いてみることが大切なのかもしれません。
二つ目は、「抱えている不安は本当にリスクなのか?」。僕はよく最悪のケースを想定します。例えば、「仕事が来なかったらどうするだろう」。そのとき「生活をシンプルにすれば、実はそんなにお金が必要ないんじゃないか」などと考えると、「なんとかなるだろう」という気持ちになって、勇気が湧いてきます。不安が本当に致命的なリスクなのかを自分自身に問うて解像度を上げれば、「大したことじゃない」と思えることが多いんです。
踏み出したい一歩を、踏み出して 、進めますように。