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【野澤友宏の見たい世界】せっかく生まれたんだから中年になってもキラキラしたい。目指すのは「教えあう社会・学びあう世界」

ーー<<2031年、土曜午前9時@渋谷スクランブル交差点。「おはよー!」QFRONT方面へ渡る50人ほどの群れは、互いに手を振り、そこかしこに会話が飛び交う。「課題やった?」「今日発表でさあ」「来月は俺講師やるんだ」「帰りにご飯いかない?」

それは40代から60代の男女。経歴も専門も多種多様な彼らが、足早に向かう先は「学校」だ。数百人のミドル世代が各々のクラスに分かれ、これから授業が始まる。100歳まで社会に価値を出し続けるための「学び直し」「教え合い」が今トレンドになりつつあるのだ。>>

「ニューホライズンコレクティブ合同会社(以下NH)」の代表に就任した野澤友宏さんの頭の中にある、10年後の未来予想図を文字に起こすとこんな感じだろうか。時は2021年。夢のスタート地点に立った彼がこれから挑むのは、まだ日本のどこにもない「ライフシフトプラットフォーム(以下LSP)」と銘打った新しい働き方の形だ。ーー

▶︎この特集は、NHの人々が何を今思い、何を未来に描くのか、外部の人間から迫ったインタビューをお届けします。
聞き手:本間美和 イラスト:山口洋佑

野澤友宏さんの仕事歴:
1999年、(株)電通に 入社。コピーライター・CMプランナーを経て2014 年よりクリエーティブディレクターに 。ユニクロ・ガスト・三菱地所・ナビタイム・リクルートなどを担当し多くの話題作を手がける。2018年より人事局のクリエイティブ周りをサポートするようになり、NHの立ち上げに参画。2021年1月、電通を退職しNHの代表に。

「会社を辞めよう」。心の声を聞いた秋の夜

ーー入社以来、コピーライター、クリエイティブディレクターとしていわば華麗なる電通人生を歩んできた野澤さん。なぜ人事分野と関わり、なぜNH立ち上げに関わり、なぜ代表になったのでしょう。

今思えば自然な流れだったんだと思います。それなりに活躍して、40歳過ぎて脂も乗って、お客さんに喜ばれることは楽しかった。けど、ある時から、心のどこかで「僕のやってることってなんだ?」「これでいいんだっけ?」って悩む。いわゆる中年危機というものになったわけです。

それを決定的に感じたのは、後輩若手クリエイターの講演を聞いたとき。クライアントの商品をめっちゃ好きだと目を輝かせて話していたんですね。僕も電通に入ったときは、あの映像が好きとか、あのコマーシャルが好きとか、好きなことにコミットできているだけで楽しかった。それがいつしか、そうでもなくなっていたんだと知って。

完全にゴーギャンシンドローム(※アラフォーに起こりがちなリセット衝動。パリの優秀な為替ディーラーを突然やめて43歳でタヒチに行った画家ゴーギャンに由来)でしたよね。でもね、電通ってなかなかいい会社だし、子供も生まれたばかりだし、やめる理由ないしなぁと悶々とする日が続いて。

今でも思い出すある秋の夜ですよ。妻が実家に帰ってて家で一人、いろいろノートに書いていたら、「ああ、これはもう、辞めよう」と思った。ただ、すぐは辞めないで、次の早期退職が来たら45歳で退職しようと決めた。それを次の日に妻に言ったら、いいよと。それですっごく気持ちが楽になったんですね。

そうこうしてるうちに、ずっと僕の直属の上司だった人が局長になったんです。そしたらマネジメント補佐みたいなのをナンバー2でやってくれと。僕に一番向いてないぞと思ったんですけど。

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応援したい人は、社内にいた。

ーーもう会社を辞めようと思っていた野澤氏としては、当然断った?

いや、引き受けたんですよ。あの秋の夜に「本当に応援したい人を応援しよう」と決めたからです。電通の人は大好きだし、局の子たちを応援するのは何の迷いもないと。それで始めたのがいわゆるヒューマンリソース系のお仕事。若い子たちの話を聞いて、おじさんたちの話を聞いて……意外に楽しくてね。徐々にクライアントを減らす代わりに人事局の仕事を増やしていきました。

それまで人事局なんて全然知らなかったんだけど、みんなすごく一生懸命働いてるんですよ。若い子たちも生き生きしてるし。これは役に立ちたいと思ってハマっていった感じでした。例えば会社の人事制度ビデオが死ぬほどわかりにくくて火がついちゃって、めちゃくちゃわかりやすいビデオを作ったり。そしたらいろんな人からお声がかかるようになって、人事局専門クリエイティブディレクターみたいになってしまった。

そんな中で出会ったのが、一緒にNHを作った山口裕二さんです。彼が立ち上げた労働環境改革室のロゴを作ったりお手伝いしていて、何かの区切りで役員と山口さんと4人でご飯食べたとき、僕なりに考えていた問題意識を全部話したんですね。ベテランのアートディレクターやコピーライターを若手のクリエティブディレクターはチームにアサインしないこと。そして活躍の場を失ったベテランたちはだんだんバックヤードに行くこと、などなど。クリエーターがプロフェッショナルとしてずっと活躍していくためにも、電通は45歳で定年にすべきだ!と持論をかましてみたんです。

そしたら山口さんが「今それに近いこと考えて準備してるんだよ。一緒にやろう」って言ったんですね。それがライフシフトプラットフォームでした。

ガンダムに乗ってたはずが、エヴァになってた。

ーー退職してサヨナラのつもりが、自分と同じような中年危機に陥っている社員を救う、新しい仕組みを作ることになった。ちょっと運命的ですね……。

初めて山口さんからLSPのビジョンを聞いたとき、退職したあと何年も固定報酬出すなんてすごく面白いなと驚きました。そこに僕なりに、学ぶ機会を作ろうとか、孤立しやすいからコミュニティを作ろうと提案して、結果的に今の形になりました。

会社を辞めて個人事業主になって、NHと10年契約する。固定報酬を一定期間もらいながら、自立の道を拓いていくと同時に、興味のあることを学ぶ。そして、コミュニティで助け合ったり自由にチームを組んで仕事をしたりする。これまでどこにもなかった働き方の形です。

たまにLSPを「体のいいリストラ」とか言う人がいるんだけど、リストラみたいな思想は、本っ当になくて。じゃあ何かって言われたら1つ。「楽しんでほしい」ってことです。だってキラキラしてほしいじゃない、せっかくの人生。やれることがないとか、居場所がないとか、悲しいですよね。

会社って、いつしか拘束具になるんですよね。若いときはガンダムみたいに、小さい人間が企業という巨大なロボット動かして、わーいこんな大きいの動かせたー!って楽しめるんだけど、中年になるといつしかエヴァンゲリオンに変わってる。エヴァって、暴れないようにはめる拘束具なんですよね。なんだ?動きづれーぞ?って気づく。もったいないですよね。

僕は学校が作りたいのだと知った。

ーーゴーギャンになって、エヴァになって、今度は新しい船の船長になった野澤さん。錨を上げ船出を果たしたいま、何を思い、何処を目指すのでしょう。

親族に教師が多くて、小さい頃は学校の先生になりたかった。巡り巡って電通に入ってコピーライターをやってみると、とにかく自分は「わかりやすく噛み砕いて人に伝えたいマニア」なんだと発見したんです。だからクライアントさんが小難しいこと言っているのを、つまりこういうことですよねって提案して、そうそう!って喜ばれるのが好きでした。 

だから少年時代の願望はそれなりに叶えたんだけど、心の片隅に残ってる気持ちが「学校ってものをやりたい」だったんですね。勉強の喜びって、きっと何かを自分の中で消化できた瞬間で。それは人生の喜びの一つだろうと思うから。


これからLSPでやる「ライフシフトアカデミー」は、基本的にはおじさんおばさん向けの学びの場になるんですけど、その先にはちょっとした野望があって。渋谷のQFRONTを、学校にするんです。なぜかというと、あそこって日本を象徴する場所だから。おそらくこれまでの日本を象徴するものはソフトカルチャーで、だからあそこにTSUTAYAがある。でも今後は、ミドル・シニア世代の教育というものが、一つの、日本を代表するビジネスになっていくんじゃないかって。分からないけど(笑)。

渋谷駅降りて、勉強しに行くってうきうきと交差点を渡るおじさんおばさんがいたら、いい国じゃない!そんな光景見たら、若者も勉強するっていいなあ思ってくれるかもしれない。

学校を作る上でのセンターピンは「いい仲間を作れる」こと。いい学校って、振り返ってみてもいい仲間がいるじゃないですか。LSPでは、コミュニティとアカデミー、二つの軸で盛り上がって、結果誰かが仕事を起こしたときに、サポートし合えるようになっていくといいなと思っています。出版したり、自分たち向けの新サービス作ったり、面白いことがどんどんできると思う。

つまりは、僕の中に眠っていた学校をやりたいっていう欲求と、わかりやすく噛み砕きたいっていう性分が結びついたとき、NHになった感じがします。まさか代表をやるとは思ってなかったんだけどね。

みんながブロックをはずしたら面白い。

ーー気になったのが、野澤さんの考え方。なぜ自分のやりがいや収入だけでなく「みんなを」という発想になるのでしょう。世のため人のためという清廉さとも違う、なにか素朴で自然なムードを感じるのですが。

いや、思いますよ。年収1億円欲しいなーとか(笑)。

でもね、なんだろう。苦手だとか、才能ないとか、この歳で無理だとか、環境が悪いとか、大人たちはいろんな理由でいろんなものを諦めているけど、そこには、勝手な思い込みや、世間の常識によって作られたブロックがかかってると思うんです。本人が意識しているかに関わらずね。

自己啓発本によく出てくる話で、小さい象の足に枷をつけると、大人になっても取れないってあるでしょう。本当は、もう本気出せば鎖も檻も突破できるのに、できたところで出ていく世界が怖いというのもあって。そういう意味でブロックは、怖いことから守っているものでもあるんです。自由に生きたいけど無一文になる危険性もあるから、ぶつぶつ言いながらもその環境を選んでいるってことも往々にしてあって。

でも、なんであんなこと悩んでたんだろう、誰がブロックかけてたんだろうって、気づいてしまえば誰もかけてないんですよね。そこから解き放たれたら、カッチャンカッチャンってブロックはずしが自走していく。面白くないですか?みんながそれやりだしたら。

元営業マンが先生になる未来。

ーー足枷を外し、学び直し、新しい仕事を作り、価値を生み出していく……。すごく素敵ですが、今の日本のミドル・シニア世代の、再就職を含めた働き方の現状とは、まだまだ離れている印象です。そこのギャップって埋めていけるのでしょうか。

「20年営業やってた俺が辞めて何ができるんだ」とか言う人、結構いるじゃないですか。でも、例えば何のスキルも無いようなおじさんでも、実は怒らせない営業術を持ってて、それに「マイルド営業」って名前をつけられるかもしれない。マイルド営業セミナーが2時間できたら、それを体系化すれば3日間の研修ができて、いずれ本を1冊書けるかもしれない。

なんて極端な例かもしれないけど、要は、そうやって自分の中にため込んだ知識をちゃんと可視化・言語化・体系化することで、何らか食っていく手段になるはずなんです。

LSPのアカデミーでもう一つやりたいことがあって、それは「みんなが先生になるプロジェクト」。人生100年時代、現場は無理でも、80歳90歳の先生はアリでしょう。だから自分のスキルを人に教える仕組みを作りたいなと。コピーは「教えあう社会・学びあう世界」

40代50代、いい転換期だと思うんですよね。実はやってみたいと思ってたいものを、ふわっとやってみたらいい。昔は歌手になりたかったっていうおじさんが、練習したらMCの仕事でデビューしちゃうかもしれない。この歳で「1年生」やるって、ちょっとアガりません? この歳で全然通用しないって、萌えるよね。

そう。イメージは、映画「キッズリターン」のラストシーン。
「俺たち、もう終わっちゃったのかな…」ってつぶやいてる中年たちに言いたい。
「まだ“始まっちゃ”いねえよ!」
かっこつけて言うと、今そんな気分です。


New Horizon Collective WEBSITE

取材・構成・文 = 本間美和
フリーランス編集・ライター
1976年生まれ。日立製作所の営業から転職、リクルート「ゼクシィ」、講談社「FRaU」の編集者を経て、夫と2年間の世界旅へ。帰国後はNPOを立ち上げ「東北復興新聞」を発行。現在は長野と京都の二拠点生活で2児の母。大人な母のためのメディア「hahaha!」編集長。著書に『ソーシャルトラベル』『3Years』。
イラスト=山口洋佑
イラストレーター
東京都生まれ。雑誌・書籍、音楽、ファッション、広告、パッケージなどの様々な媒体で活動。CITIZENソーシャルグッドキャンペーン「New TiMe, New Me」、FRaU SDGs MOOK 、『魔女街道の旅』(著・西村佑子 山と渓谷社)、絵本『ライオンごうのたび』(著・もりおかよしゆき / やまぐちようすけ あかね書房)、テレビ東京「シナぷしゅ みらいばなし」などを手がける。各地で個展なども開催。yosukeyamaguchi423.tumblr.com/





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