【広瀬由美子の見たい世界】 住む場所・働き方・生き方はもっと自由でいい。感性を大事にした自分だけの「解放区」を皆が持てたら。
ーーニーチェは言った。「問うな、ただ踊れ」。
踊ることに意味などない。踊っている瞬間こそがどこまでも美しく、その瞬間に没入すること自体が人生で最も重要なことだと。
意義の分からないこの"神なき世界"で、いかに生きるべきかを舞踏になぞらえた言葉だ。
広瀬由美子さんは、典型的な昭和の家庭で育ち、女子校から四大合格を蹴って親との約束で短大へ。時代的に、女性が自分の頭で考え、自分の意志で道を切り開くことが容易な世の中ではなかった。しかし彼女は、度々現れる彼女を縛ろうとする鎖を何とかして振り解き、自らの魂を解放してきた。
とことん突き詰めたくなる性分。いくつかのテーマを自分の中に走らせ、常に何かに没頭している。30代で始めた写真は、会社勤めをしながら夜間学校に通い、10年かけてパリで個展を開く夢を叶えた。
興味を持ったライフキャリアの分野では一般社団法人を作り、若い世代をサポート。ついには論文も書き上げ、博士号を取って今春から大学の教壇に立っている。
彼女は知っている。環境や才能に恵まれているかどうかじゃない。動けば何かが変わる。変わりだす。失敗してもそれは成長につながると。
だからこそ、頭で考えすぎて行動に踏み出せない人を見るともどかしい。少しでも背中を押す力になりたい。
彼女のこれまでの歩み、いや、今の彼女の在り方そのものが、語りかけてくるように感じた。「問うな、ただ踊れ」と。ーー
▶この特集【NH230人が見たい世界】は、NHの人々が何を今思い、何を未来に描くのか、外部の人間から迫ったインタビューをお届けします。
聞き手:本間美和 イラスト:山口洋佑
「パリで個展」の夢を叶えるまで
ーー 一般社団法人の代表理事や、博士号取得、大学での教鞭も。それに加えてプロフィールに「写真家」とあって驚きました。
海外旅行が好きで、電通に入ってから年に2回は行っていました。
99年にネパールの古都バクタプルを訪れた時が転機になりました。初めてちゃんと写真を撮りたいと、一眼レフのモノクロフィルムで町や人を撮影して。
自分で現像して印画紙に焼いたりしているうちに、とても面白く感じて、本格的に夜間学校で写真を学び始めました。それから写真展を開いたり写真集にしたり……。
でもそんなとき、入社15年目にして営業に異動になり、長めの休みが取りづらくなったので、国内で撮影しようと、自分が習っていたクラッシックバレエの裏舞台や練習風景を撮るようになったんです。その作品を2005年に代官山で展示したら、意外に結構売れましてね。調子に乗ってパリに売り込みに行こう!と思い立ちました。
ーー写真を「面白い」と感じてからの行動力が尋常じゃないですね。普通の人なら、趣味で満足しそうなものを。
いや、今思えばまったく無謀なんですけどね。自分の写真を持ってパリのギャラリーを回り、一生懸命売り込みました。運良く一軒だけ興味を持ってくれたんですが、それから年に2回、何年通って働きかけても、なかなか個展はやらせてもらえなかった。甘くない世界だと知りましたよ。
国内では、初期の頃に深く考えず、あるコーディネーターと契約をしたため、10年間の縛りがあり、自由に活動ができず苦しみました。
やっと契約が切れた2012年、これで自由だと思ったらパリのオーナーが亡くなってしまって…、これまでの苦労が水の泡。でも新しく作品を気に入ってくれたフランス人と一緒にギャラリーを探して、2017年、ついにパリで個展をやる夢を叶えることができました。
そして2017年は大学院に入った年でもありますから、私にとって大きな節目になりました。ネクストステージへの転換というか。
第二章、教育の分野へ
ーー パリでの写真家活動から、今度は大学院へ。
大学院に行ったのは急な話ではなくて、長いプロセスがありました。
もともと電通で最後の10年くらい、地方創生プロジェクトに携わっていたんです。いろんな省庁や自治体と共に、住環境や移住促進などの分野で。すごく簡単に言ってしまうと、主に東京から出てみたい・人生を変えたいと思う人と、来て欲しい自治体を繋ぐお仕事でした。
私は、幼い頃から父が転勤族で住む場所が何度も変わったり、留学を含め海外のさまざまな国に行ったり、震災を機に湯河原に拠点を持ったり、ずっと場所を変えるということをしてきました。
「自分を変えたければ環境を変えろ」とかよく聞くじゃないですか。あれ結構、的を得ているなと思うんです。意志だけじゃ難しいですよね。私も、子供の頃は引越しが嫌だったけど、環境が変わったおかげで視野を広げてもらったなと今は感謝しているので。
なので、自分の価値観とも合う、やりがいのある仕事でした。
ーー今、都会で行き詰まり感を抱えていたり、新しい環境でチャレンジしたいという人は結構いそうですものね。
大学院という道を考え始めたきっかけになったのは、ツヴァイという結婚相談サービス会社と、ターンズという地方移住がテーマの雑誌、それと電通の三社で取り組んだ移住促進プロジェクトです。私の中では個人的に、「女性が活躍する地方の道」というのが大きなテーマでした。
都会の女性たちには、「環境を変えたい、海外でも地方でもいい」という志向の人が一定数いて、私たちの主宰する地方移住や地域との交流、婚活などをテーマにしたイベントやプロジェクトに参加してくれるわけです。でも、すごく好感触なのに「じゃあ行きます!」とはならず、途中で「でも…」と悩んじゃう人がすごく多かった。女性たちが一歩を踏み出せず躊躇する姿を見て、その心理的プロセスに興味が出てきたんです。なぜなんだろう、どうしたら力になれるのかなって。
それで、インストラクショナルデザインという教授法や、サニー・ハンセン博士のパッチワークのような4Lキャリア理論(※)を学んで、悩んで動けない人の背中を押せるようになりたいと思うようになりました。
これだという教授が見つかるまで何年か気持ちを温めていたんです。
ついに2017年、大学院に入ることができ、「越境学習」「自律的ライフキャリア」「地域貢献活動と学習行動」などのテーマを持って研究を深めていきました。面白くて、夢中になりました。
ーー仕事だけじゃなくさまざまな役割がパッチワークのようになった人生…。いいですね。それで働き方や生き方、学びをテーマにした社団法人を2019年に設立されて、2021年にNHへ。仕事で関わったことが、ご自身の専門分野になっていくわけですね。
そうですね。ドクターを取るって、やってみたらすごく大変でした。5年かかって、今年の3月にやっと卒業したんですよ。
これから、研究者としてさらに学んで、論文も書きたいし、大学で教えることも頑張りたいです。次世代や社会に貢献することで、自分の人生も、よりいいパッチワークになるかなと思って。
好奇心と束縛
ーー子供の頃からそんなに行動力があったんですか?
そうかも知れませんね。母親に似て好奇心が強く、小学生の頃はガールスカウトで山を歩いたりキャンプをしたり。中学の時には、雑誌の後ろにあった友達募集を見てアメリカの子と文通を始めたり。
その後、京都の女子校へ。進学する同級生も多かったですが、当時は女性が手に職をつけるにはということで薬剤師も人気でした。そんな中、英語や異文化交流に関心が強くなった私は、どうしても海外に行きたくなって。親に直談判して、アメリカに1年間交換留学させてもらいました。
そのときの親との交換条件を守って、高校卒業後は短大へ進みました。親は四大に行くと女の子は就職できないからと。必死で勉強して四大にも合格して見せたんですけど許してもらえませんでした。悔しかったけど、まあ約束だったんで仕方ないです。
就職して、20代半ばになれば結婚するのが当たり前という時代、結婚したらしたで今度は家と家のことが窮屈で。
30代前半で離婚して、そこから私、本当に自由になったんですよ!
クラシックバレエを習い始めたのもその頃です。普通はそんな年齢から始めないですけど、人にどう見られようがやりたくて。結果、バレエは私に新しい世界を見せてくれました。
ーーあらゆることが共通していますね。広瀬さんは縛られたくないんですね。
そうなんです! 私、人から考えを押しつけられたり、何かに縛られている状態ってダメなんですね。息が詰まってしまうんです。行動や発想を、制限されず自由でいたいんです。
かといって、何もせずダラダラとか、宙ぶらりんは嫌なんですよね。会社や研究といった、礎(いしずえ)は持っていたい。
礎というより、いつも何かに熱中していたいのかも。やりたいと思ったら徹底的にやりすぎるところがあって、自分でも怖いときがあります。笑
ーーニーチェが「ただ踊れ」という言葉を残しているんですが、つまり、フロー、熱中の瞬間こそが生きる意義だと。私自身、大人になってからはあまり無我夢中になることがなかったなと広瀬さんのお話を聞いていて思いました。
もしかしたら私にとって大事なのは、熱中を与えてくれる「テーマ」なのかもしれません。例えば「越境」というテーマは、すごく人間の人生に影響を与えてくれるものだと感じたら、それに研究でアプローチしたり写真でアプローチしたり。のめり込んでしまうんですね。
そのテーマが時々で変わったりするんですけど、いつもいくつかのテーマを持って、並行して取り組んでいる感じがします。
一瞬の光を求めて
ーーアカデミックな面だけ見ているとちょっと意外に感じてしまうんですが、広瀬さんの写真家としてのWEBサイトにあった写真、特に日本の自然の風景に、神が宿っているかのような神々しさ、霊的ともいえるようなエネルギーを感じました。
えー!嬉しいです。
フローの話にも通じるけど、一時期「結界」とか「半透明」に興味を持ったことがありました。バレエに惹かれたのは、バレエがもともと妖精をイメージして作られた舞踊だからという理由もあるかも。目には見えないけど精霊がいる、そんな世界に憧れるのかもしれないですね。
ーー威厳のある強い神様じゃなく、小人や精霊のような小さな神様の世界。もしかしてガールスカウトで山を歩いていた少女の頃から感じていたり?
面白いですね。「そんなことないですよ」と片付けられない気もします。
活動的だった一方で、夢想家でしたし、読書も好きで、木目込み人形や編み物といったチマチマしたことも黙々とやってましたね。
霊的か分からないけど、空気の変化というのは、今もよく感じます。今住んでいる湯河原の駅についた瞬間の、匂いや空気の違い。お寺、神社とかでも「あ、違う」と。でも人がいると全然だめで、人がいない静かな時だけ。
写真にも、そういう説明しにくい空気感みたいなものを求めているところがあります。
ーーなるほど。好きな言葉は、岡本太郎さんの「人生二本道がいい」だと伺って、広瀬さんにとっての二本道って?と考えていました。学術と芸術、日本と海外……。でも今、「頭脳と魂」という言葉が浮かびました。仕事や研究といったクレバーな道と共に、アーティストとして「魂が震えるもの」を求めている道もあるのかなと。
うんうん、あると思います。魂というか、感性というか。
風景でもバレリーナでも、ネパールの子供でも、「わあ!」っていう、その空気感から出る神々しさが撮れるときがあるんです。
光なんですよね。光と、人やそこにあるものが、カチっと合ったとき。もちろんいつもそんな写真が撮りたいと思ってライティングを工夫したりするんですけど、意図的にできるものではないです。向こうからやってくるというか。
だからこそ、「その瞬間」みたいな写真が撮れたときは本当に嬉しいですよね。震えます。
皆が自分の解放区を見つけられたら
ーー今の広瀬さん、画面越しですが、とても清々しい空気感が伝わってきます。意欲に満ちていて、それでいて肩の力は抜けていて……とにかく気持ちよさそうです。
えー、ありがとうございます。
そうだ、ネパールの写真集のあとがきに書いた言葉、ちょっと見てもらっていいですか。
写真は、空間的・時間的・心理的な解放区へと私を誘い、自分の知らない世界を少しずつ広げてくれる。
電通で仕事もしながら、休みを取って行ったネパールで出た言葉だから、きっとこの時の、ネパールでシャッターを切っていた私は、心から解放されていたんでしょうね。素敵なリゾートのビーチで寝そべってるよりも。
誰にでも、自分の一番心地いい解放区があるんですきっと。
ーー解放区……いいですね。私たちは、世間の常識に縛られて生きる必要はないと頭で分かっていても、やっぱり影響されてしまいがちです。また、お金がないとか才能がないとか、自分で自分を縛ってしまう場合も多いですよね。
やっぱり固定観念ってみんな持っているんですよね。社会で生きるのにある程度必要なものだし。でも、そのせいで自分の本当の気持ちを抑えて、行動が起こせなかったり息苦しくなったりする人もいっぱいいて、もったいないなと思うんです。私もそうだったから。
私は、固定概念を外したいなら、環境を変えるのも1つの方法だし、いろんなやり方があるよって伝えたいんですね。
本当はこうしたいのに、と思うなら、やってみようよって。
常に成功しなきゃダメと思うと辛いけど、失敗も、停滞さえも成長の1つ。そう思えば少し気が楽ですよね。
研究や論文、ワークショップ、大学での授業、また写真を通じて、直感に従うことや、動き出すことの価値を伝えられたら。そのためにもっと学びたいし、自分自身もそうありたい。
ーー広瀬さんは、何かに縛られている人の縄を「いいんだよー」ってほどいてあげたいんですかね。自分の好きなようにのびのび生きていく人が増えてほしいと。実際、お話を伺って私も、いろいろやってみたい気持ちが沸々と湧いてきました。
そうね、私が見たい世界は……みんなの「解放」なのかもしれないですね。
私がいま幸せなのは、自分の心が求めるものが何かをまっすぐ見て、自分を解放しようと1つ1つ選び取ってきたからかもしれません。
解放される人が増えるといいな。押しつけはできないけどね。
今、湯河原の自宅の3方向は窓なんです。パノラマの窓。心地よくて、とても気に入っています。左は箱根の山、目の前は海、右は熱海の山で、座っているだけで自然に包まれている感じ。
ーー縛られるのは嫌だけど、包まれるのは好きと。
そうそう。面白いわね。