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【水野和佳の見たい世界】人の力を信じてる。だから繋ぎたい。大海へ解き放たれた今、私は感性のまま縦横無尽に泳ぐ。

ーー「たぶん、欲張りなんですよ」。彼女は言った。人生“たった”100年。やりたいことは全部やって、会いたい人には全員会いたいと。

水野さんと話すと、胸のあたりの温度が上がるのを感じた。それはきっと彼女がポンと飛び込んできてくれたせいだろう。
幼少期は大阪で、10歳から16歳まではアメリカで育った。知らない人にもアメちゃんをくれる大阪と、知らない人でも笑顔で挨拶し合うアメリカ、2つのスーパーフレンドリーカルチャーが、水野さんのコアを作ったのかもしれないと思った。

人が好きで、喜ぶ顔が見れたら幸せな性分。だからこそ痛い目にもあったし、これまで自分をあまり大切にできなかった。でも今は、自分の感性に耳を澄まし、やりたいことを自問しながら、かつ一層自由に生きられている実感があるという。「Everyday is a fresh start」。今日も新鮮なワクワクを胸に、彼女は窓を大きく開ける。ーー


▶︎この特集【NH230人が見たい世界】は、NHの人々が何を今思い、何を未来に描くのか、外部の人間から迫ったインタビューをお届けします。
聞き手:本間美和 イラスト:山口洋佑

水野和佳さんの仕事歴:
大阪とシカゴと京都育ち。99年に電通入社。関西支社でPR、メディア担当を経て、営業へ。大手ゲームメーカー担当でPRやクリエイティブを9年、大手製薬会社担当でスキンケア・化粧品のブランディングを4年。2018年に東京本社異動、社内の業務改革に取り組む。2021年にNHへ。人と人を繋げ、NHの内と外で多種多様なプロジェクトを展開する。

自分を大切にしたいと思った、30代の留学生生活

ーー花形クライアントを歴任し、全力疾走で電通ライフを駆け抜けてきた水野さん。大きな転機は、異動ではなく海外研修だったとか?

ゲームメーカーの営業を5年ほど担当した2010年から、会社の研修制度を利用して半年間、海外に行かせてもらいました。期間のほとんどは、アメリカのニューヨーク大学(NYU)でPRやマーケティングなど興味のある講義を受け学生として生活しました。

久しぶりの学生生活。多国籍の環境で学び、発言してフィードバックを受けて。それまでほぼ活かせていなかった英語を使ったコミュニケーションも刺激的で。何より、仕事から離れる期間をもらったことで、「本当にやりたいことは何だっけ?」と自分を見つめ直せたことが有難かったです。

NYUに通っていた時、学校はダウンタウンで家はアッパーウェストサイド。放課後は毎日あえて違う道を選んで探検しました。歩きながら、バスに揺られながら、空を見たり道端の花を見たり、道行く人を観察したり。そんな中でふと、「自分を大切にしたい」みたいな感覚が降ってきたんです。

電通で猛烈に仕事をしていた時代はやりがいMAXで、ほぼ24時間仕事のことが頭から離れなかった。充実した中でも、知らず知らずのうちに「期待に応えなくては」「与えられたタスクを120%で返さなくては」というプレッシャーを負っていたんですね。空や花をぼーっと眺める時間も持てなかったし、個人として自分を大事にできていなかった。自分の心の声を聞いてあげられなかったなって気づきました。

そんなある日の学校帰り、ふと入った小さなインテリアショップの商品やディスプレイ、ラッピングの美しさに心をわし摑みにされました。「あぁ、こういうお店が持ちたいな」と思ったんです。それは自分でも驚くほど、めちゃめちゃときめきました。

英語、学校、お店、人とのコミュニケーション。たくさんの刺激を受けて、自分の「好き!」が見つかって確信になった。そんな半年間でした。

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NYで見つけたときめきを形に

ーー帰国後、製薬会社担当を経て、東京に移り業務改革プロジェクトにアサインされて。海外研修で見つけた「好き!」は、どうなっていったのですか?

在職しながら少しずつ行動に移していきましたよ。NYでの体験からインスピレーションがどんどん膨らんで、その後も海外旅行に行くたびに路地裏の小さなお店を巡り、いつか自分が持ちたい未来のお店の、坪数や棚の陳列、レイアウトを妄想し続けました。素敵な雑貨も買い集めました。でも会社に勤めながらお店を持つのは難しいから、退職するという選択肢が生まれ、周りに「辞めるかも」と言うようになりました。

あとは、幼なじみのシンガーソングライター光永亮太からオファーされてアーティストマネージャーを始めたり。ギフトラッピングにもハマって、友人のものをやってあげるうち、日本にも文化として発信したいと思って仲間とサイトを作ってみたり。

「やめるやめる詐欺」と周りから言われるほど、気づいたら10年が経っていました。でも10年間辞めなくてよかった。貴重な経験とたくさんの出会いが得られたし、この機会を待っていたかのようにNHっていう素晴らしいチャレンジに加われましたから!

NHにジョインしてからは、やりたいことがさらに加速し、雑貨屋のECサイトはまもなくオープンだし、音楽の方でもミュージックビデオを何本か制作しました。NHと個人合わせて、今8つくらいのプロジェクトが進んでいます。

「こうじゃなきゃ」がなくなればもっと面白い

ーーエ、エネルギーがすごい…。同年代ですが、私はそんな頑張れないです。白旗です。

とにかくね、欲張りなんですよ(笑)。この世に生を受けて水野和佳でいられるのが100年として、たった100年。体が元気なうちにやりたいことは全部やりたいという気持ち。それが原動力になってるのかな。

基本が超絶ポジティブな性格ですけど、10代でアメリカから日本に帰国してこれまで、窮屈に思うこともありました。それは大学に行くべきとか、結婚するべきとか、子供を持つべきとか、日本人に根強い「こうあるべき」って価値観。ここへきて多様性が認められてきましたけどね。ほんとに、その人の幸せはその人の物差しで良いと思っています。

世の中にはすごい才能の人がいっぱい。でも、1人がすべてのことはできないじゃないですか。できないこと・マイナス面に目を向けるんじゃなく、それぞれの得意な部分を出し合って、補い合って、みんなで気持ちのいい社会を作っていけたらいいなって。私は、出る杭は打たれるんじゃなく引っこ抜かれればいいと思っているんです。

昔は憧れを煽ったりする広告コミュニケーションが主流でしたけど、これからはもっと、個人の感覚をリスペクトした、定義しすぎないものになっていくと思います。「こうあるべき」という既成概念や同調圧力に縛られないで、どんな人も、何歳になっても、自分の好きなことにチャレンジできる「包容力」と「センス」のある社会になったら、本当に素敵だなって思います。

つまりは「センス」なんだと思う

ーー「センス」。ちょっと気になる表現です。ファッションのことじゃなく、感性のことですよね? 『センス・オブ・ワンダー』の。

そうそう。例えば私、20代は正義感が強すぎて、すごく不器用でした。理不尽なことがあれば年上の人でも食ってかかるようなところがあった。場のムードも相手の立場もわきまえず、正しいことは正しいと言わずにおれなくて。センスが悪かったなと我ながら思います。35歳過ぎてからは少し冷静になったかなと思うんだけど…(笑)。

物の選び方だけじゃなくて、コミュニケーションもセンスだと思うんです。気遣いや言葉の選び方もセンス。感性、美意識ですね。その人を形づくっているもの。いろんなことが備わったセンスとバランスの良い人に憧れます。

たとえば今回の新しい取組みを「リストラでしょ?」ってよく知らないで決めつけ、それを言葉として安易に発信してしまう人がいる。それが周りに波及して、事実がねじ曲がったものに変わってしまうってことが起こる。でも私の周りには、「それってどんな仕組みなの?」と目をキラキラさせて聞いてくれる人がたくさんいる。この違いは、分からないことへの向き合い方だし、まさにセンスですよね。

やっぱり根っこのところは、教育かなと思います。いろいろな人がいて、自分がいて、コミニケーションから学んでいく。小学生が互いを苗字にさん付けで呼ばなくちゃならなくて、どうやって仲良くなるんだろう。

私が小学3年生とき、新学期初日に担任の木村先生が言ったんです。「私のことはキムセンて呼んでね。みんなも自分が呼ばれたいニックネーム考えてきて」。翌日、各自考えてきた呼び名を教室の後ろの壁に貼りました。すっかり大人になった今も当時のニックネームで呼び合っていますよ。

いい文化や習慣って、学校単位・クラス単位みたいな小さなところにたくさんあると思います。日本人は素直で同調性が高い。だから良いナレッジをシェアしていけて「いいね」が広がれば、良い社会になっていくと思うんです。

NHには文化祭前のワクワクがある

ーー水野さんが味方につけている「運と縁」。これは循環のエネルギーかもしれないと思いました。良きものを惜しみなく出すから、良きものが入ってくる。いつもHappyとLoveを渡すから、素敵な人たちが集まってくる。

確かに、喜ばれるのが好きで、頼まれると一肌脱いでしまう性分かも。昔からよく、「こういう人を探しているんだけどいない?」と聞かれるんですが、自分の中に「ならばこの人!」という引き出しがいっぱいあって、プランが思いつくんです。紹介をきっかけに、ベストマッチングや素敵なプロジェクトが生まれたときがすごく幸せで。

あるとき隣の部署に異動することがあって、いただいた色紙の中に「水野さんのような人のことをコネクターと呼ぶらしいですよ」とあり、なるほど!と腑に落ちたんですね。ああ、私は人と人をコネクトすることをずっとライフワークとしてやってきたんだなって。

「ギブ&テイク」じゃなく、「ギブ&ギブ!」っていつも思ってます(笑)。いつか何かの形で返ってくる。でも返ってこなくてもいい。私に何が求められているかを考えて、とにかく丁寧にやることを心がけています。

ただ、痛い目にもあいましたよ。フリーランスになることで、裏表がある人や利用しようとする人もいるんだって知りました。この辺の見極めは今後の課題ですね。でも経験しないと分からないし、仮に裏切られたならもうその人と関わらないという学びになってるから大丈夫。そんなことより、今は楽しさの方がぶっちぎりで上です。

NHはある意味、文化祭の準備期間のような感じ。当日より楽しかったりしますよね(笑)。電通も文化祭っぽい会社だったけど、私の場合は決まったチームで動くことが多く、ルーティン化されて効率よく進んでいました。だんだんそこに慣れてきて、入社時のときめきはなくなっていった気がします。でも今、歳の離れた人もいるけど同じクラスメイトの感覚で、NHで初めて会う人も結構いて新鮮です。ほんと、ちょっと学校っぽさがあるんですよね。

電通時代の働き方は、画材もきれいに揃っていて、チームで与えられたお題の絵を描くような感じでした。「今回はどうやって描く?」って。でもNHは自由の度合いが違う。誰と、何を使って、何を描いてもいい。グラフを描けとも、花を描けとも言われない。なんなら造形でもいい。

「やっちゃだめなこと」がないから、右から左に急に踵を返してもいい。立ち止まってもいい。今、その自由さが嬉しくて仕方ないです。そして自由だからこそ、より責任をもたなくちゃとも思うし、足を前に出すごとに自分とちゃんと向き合い、大事にできている気がします。

大好きな友人にもらった、私の好きな言葉は「Everyday is a fresh start」。今、毎朝起きるのが楽しみなのは、今日は何が起こるだろう、誰と出会えるだろう、どんなオファーが来るんだろうってワクワクしてしまうからだと思います。こんな幸せなことってないですよね。

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取材・構成・文 = 本間美和
フリーランス編集・ライター
1976年生まれ。日立製作所の営業から転職、リクルート「ゼクシィ」、講談社「FRaU」の編集者を経て、夫と2年間の世界旅へ。帰国後はNPOを立ち上げ「東北復興新聞」を発行。現在は長野と京都の二拠点生活で2児の母。大人な母のためのメディア「hahaha!」編集長。著書に『ソーシャルトラベル』『3Years』。
イラスト=山口洋佑
イラストレーター
東京都生まれ。雑誌・書籍、音楽、ファッション、広告、パッケージなどの様々な媒体で活動。CITIZENソーシャルグッドキャンペーン「New TiMe, New Me」、FRaU SDGs MOOK 、『魔女街道の旅』(著・西村佑子 山と渓谷社)、絵本『ライオンごうのたび』(著・もりおかよしゆき / やまぐちようすけ あかね書房)、テレビ東京「シナぷしゅ みらいばなし」などを手がける。各地で個展なども開催。yosukeyamaguchi423.tumblr.com/