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【金井毅の見たい世界】真摯な人がちゃんと儲け、本物がちゃんと残る未来へ。よろず相談請負人は今日も西へ東へ。

ーー金井さんってまるで……何だろう。ずっと考えていた。
分かった。宮澤賢治の「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」だ。

東に困った生産者あれば、行って売れる方法を教え、
西に逸品を作る匠あれば、行ってその良さを勝手に宣伝する。
金井さんは積み上げてきたスキルを生かしながら、さまざまな人に出会い、さまざまな美しさに出会い、良きものを残し広めるべく東奔西走する。

同年代の友人から「金井は楽しそうでいいな」とよく言われる。しかし彼のインスタだけ見ている人は知っているだろうか。彼が小さな町の小さな工場で、名も無き生産者の話を食い入るように聞いている様を。街角のローカルの飲み屋で、居合わせた30代の悩み相談に答えている様を。

丈夫ナカラダヲモチ、決シテ驕ラズ、ヨク見聞キシワカリ、ソシテ忘レズ……
やっぱり金井さんとぴったりくる。二時間のインタビュー中、20歳近く年下の女性である私に対して、フレンドリーに接しつつも最後まで敬語をくずさなかった。誰に対しても偉そうにしない、人としての純粋なリスペクトが伝わってくる。すっかり私も、金井ファンの一人になってしまった。

彼を突き動かす原動力は、素晴らしいもの・人・地域に出会いたい好奇心。彼の幸せは縁した人々の役に立っている実感。

目を輝かせて「面白くて仕方ないですよ」と笑う金井さんを見ながら思った。
サウイフ60代ニワタシモナリタイ。ーー

▶︎この特集【NH230人が見たい世界】は、NHの人々が何を今思い、何を未来に描くのか、外部の人間から迫ったインタビューをお届けします。
聞き手:本間美和 イラスト:山口洋佑

金井毅(たけし)さんのお仕事歴:
1983年電通入社。新聞広告担当を18年務め、営業へ。飲料会社等を担当した後、インキュベーション室で事業開発に携わる。2020年3月電通退社、NH(ニューホライズンコレクティブ)へ。NHでは「売れる仕組み創造室」のリーダーとして、個人では「萬商相談(よろずあきないそうだん)」を屋号として、全国の中小企業・生産者・自治体などのビジネス推進のサポートを行う。復興庁グループ化支援事業ディレクター、中小企業基盤整備機構・震災復興アドバイザー、大学講師も務める。

意外に面白いおっさん?


ーー全国各地でマーケティング・販促のコンサル、講演活動、複数の大学で教鞭も。肩書きを見て少し緊張していましたが、実際にお会いするとすごく気さくで驚きました。

地域に最初に入っていくとき、「電通」とか「東京」ってことが壁になることは確かですね。偉そうなんじゃないか、俺たちの話なんてちゃんと聞いてもらえないんじゃないかって。でも会ってお話すれば壁は無くなります。

とりあえず「意外に面白いおっさんだな」と思ってもらえるか。僕は根っからの超ミーハーで、ドラマでも新商品でも何でもチェックするし、高校・大学時代はよくテレビのクイズ番組に出て賞金もらったりしてたから雑学には自信あります。特に懐メロのイントロクイズが得意でね。笑

ツカミはOKとして、そこから胸襟を開いてもらえるか。一番のポイントは「使う言語」が合っているかだと思います。近年、副業兼業で大手企業や商社の方がアドバイザーやコンサルタントとして地方にたくさん入っていますが、なかなか難しい状況が散見されるのはその部分かなと。

商社や広告代理店と支援先の企業では、ビジネスの商流における立場が違います。例えば、企画を提案して採用されたらお金になるのが電通。その先で実際に物が売れてやっとお金になるのが小売。同じ「お金をつくる」でも立場によって、使う言語や見ている視点、現場感覚はまったく違う

僕はさまざまな経験をしてそこの違いを学んだ結果、現場で出会う一人ひとりに「この人はわかってる人だ・味方だ」と思ってもらえるようになり、今は全国各地からお話をいただけるようになりました。

「わかってる人」になるまで

ーーどんな経験が、地域で「わかってる人だ・味方だ」と思わせる金井さんをつくってきたのですか。

電通人生の後半、40歳くらいから営業になり、大手飲料メーカーを担当しました。CM制作だけでなく、全国の店頭でキャンペーンを打ったりする中で、小売さん、メーカーさんの軋轢・苦労を垣間見たんです。

メーカーとスーパーの商談に同席したこともあります。スーパーの
バイヤーさんに商品CMのコンセプトを説明して、それによって年間何万ケースと決まる。そこに値引き交渉があったり、スーパーのチラシに載せるからいくら出してとか。めちゃくちゃリアリティがあるラストワンマイルの部分。「実売」ってすごいなと知りました。

ーー会社の中に居たのでは分からなかった世界ですね。

そうです。その後50歳手前から退職までの約10年間は、インキュベーション室という部署で新規事業を担当したんですが、そこで最初にやった仕事が、NHKの当時の連ドラ「てっぱん」とコラボした、スーパー店頭での鉄板フェアです。NHKに交渉して音楽やロゴを使わせてもらうことにして、ビール、ソース、粉のメーカーをそれぞれ口説き落として共催金とりつけて、日本全国の大手スーパーマーケットを軒並み回って売り場をつくる。振り返ればこれが一番の経験になりましたね。


地方の僻地のスーパーの事務所、倉庫の奥のような、椅子がないような所にも行くわけです。これが結構楽しくてね!罵倒されても負けじと戦って、交渉する言語を覚えていきながら、「彼らはこういうこと考えてるんだ」と売りの現場を知っていくわけです。


ーー各スーパーのバイヤーさんたちと、どう交渉したんですか? 

バイヤーさんの一番の悩みは売り上げなので、テレビのコンテンツを使うと注目度があがりますよと。でも最後はやっぱり人で、パートの女性たちをいかにやる気にさせられるかだと分かったんですね。朝の連ドラって女性に強いので、そこを強調してうまくいきました。裏の事情を知っている絶妙なツボをついてくるので「電通の奴でも意外に分かってるんだな」と思ってもらえたんだと思います。

この経験で、使う言葉が変わりました。基本的にカタカナはNG。ターゲットは「お客様」と言い換える。パートのおばちゃんは「パートナーのお姉さん」と言い換える。笑

倒れて気づいたこと

ーー営業時代の経験で、加速度的に世界が変わっていったということですね。

実は、大きな転機はその前にありました。僕は電通に入社後、新聞局に18年もいたんですね。「紙担(かみたん)」と言って、
広告の枠をもらうために新聞社と交渉する仕事です。

日本経済新聞の担当だった24歳の時、今だったらありえない過酷な労働で倒れたんですよ。めまいを起こして運ばれて、診断の結果、疲労によって左耳と小脳の間の神経が切れていた。寝てるしかない状態で1ヶ月の自宅療養

当時の日経新聞はスペースの取り合いで申し込み殺到。俺じゃなきゃ無理だろという自負があったんですが…、自分が休んでも会社は回っていた。

「ああ、たいしたことないな俺」って。会社から言われたことを的確にこなすんじゃなく、自分を作らなきゃなと思いました。急に怖くなって、戻ったら机がないんじゃないかって、自分の弱さにも気づきました。

それで外部の先輩方にも話を聞いて、自分の価値を磨き上げることに思考と働き方をシフトしました。「電通の人」じゃなく「金井さん」と言われることを目標に。20代半ばで気づけたことは幸運でした。

地域のヒーロー、現場のリアリティ

ーーお仕事の中で、心に残っている風景ってありますか?

インキュベーション室に移った最初の頃、高知県から、地域のものを外に売る地産外商を助けてほしいという案件がありました。そこで県の生産者さんたちを何軒も何軒も歩いて回ったんですが、そこで出会った皆さんが生き生きとしていて驚いたんですね。

「こういう人たちが世界を回しているんだな」と。今までの大手企業中心の世界とは全く違う景色だった。こういう人たちをきちんとサポートできなきゃだめだと思いました。

漁師さんと一緒に漁船に乗ったり、農家に行って野菜食べさせてもらったり。僕はこの仕事が好きかもしれないぞと気付きました。作っている現場を見るとリアルな感動がある。そしたら外で語りたくなる。リアルな感動が伝われば食べたいと思ってもらえる。

心に残っているのはあるカツオ漁師。でっかい刀みたいなのを持って解体の説明をするのが異常に面白いんです。「俺の話きいて魚食えるようになった子供がいっぱいいる」って。かっこよかったな。ああいうところにヒーローっているんですよ。

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ーー地域のヒーロー。いいですね。大企業の世界から小売の現場へ、そして地域の生産者へ行き着いたと。

生産者さんたちのすごさを感じていた中で、東日本大震災があり、すぐに東北に行きました。呆然とするしかない、ものすごい風景でした。

ある水産加工会社社長の男性は、家族も流され、工場も流され、自分も津波にのまれ、たまたま畳が流れてきてそれに乗ったら渦でぐるぐる回って、もうだめだと思ったらおさまって結局助かったと。「生かされた感じがした」と。この言い方すごいなと。

その人の話を、お互い涙流しながら聞くところからスタートして、事業をサポートして、今は素晴らしい会社になって活躍しています。

役に立てる喜びとやりがいを感じると同時に、企業社員としては、これをボランティアではなくどうマネタイズするか、いかに経済合理性をつくるか徹底的に考えました。それができれば会社の中で堂々とやりたいことを仕事にできるから。

そしてそのためにも、サポートした相手がちゃんと儲かるようにしなくちゃいけない。今やっている「萬商相談(よろずあきないそうだん)」という事業も、基本的に困ったら何でも相談してよってスタンスなんですが、“商い”相談なんで。気持ちで寄り添うとか、アイデアを出すとかだけでなく、ちゃんと儲けにまでつなげたい。落としどころにはこだわっています。

「売れました!」の声が聞きたくて

ーー東北被災地での経験をもう少しお聞きしたいです。

現場で知ったのは、地域の生産者の皆さんがバイヤーの言いなりになっていたり、卸さんにお金を持ってかれちゃったりという現実でした。誰に向けて作っているのかが見えていない、何だかわからないけど作って売ってるという疲労感がありました。

「この商品のターゲットは?」と聞くと皆さん「老若男女に売りたい」と言うけど、本当は間口を狭めるほうがいい。量はたくさん入れたらいいと思ってるけど、多すぎると今どきの家庭では食べきれない。デザインを変にかっこよくしようとして、せっかくのシズル感がなくなっている。良いものがいっぱいあるのにもったいないということが散見されました。

一生懸命アドバイスして回りました。そしたら「先生売れました!」って。先生って言われるのは嫌だったけど、やっぱり嬉しいじゃないですか。
目がドヨンとしていた人が生き生きし始めるのを見たら感動しますよ。人が変わっていって、町が変わっていって、今までの当たり前が変わっていくのを見たら。

ーー漁協農協、流通システム。生産と消費の距離の遠さ。日本全国で起こっている構造の硬直化がつまびらかになってしまった震災でしたものね。

硬直というか、多くの人が強い既成概念の中で生きていると思わされました。本来なら価値があるもの・利益を生むものが搾取されている、もったいない現状が全国にあるんだということも。

とろろ昆布を作っている岩手沿岸の工場を見に行ったら、ぜんぶ手作業でした。電動やすりみたいな機械に昆布を入れると、薄い布みたいのがパーって飛んでいく。これがものすごく美しかったんで、「この動画を展開するだけで売れますよ」と勧めて、実際売れました。

今の消費者に響くのは、シズル感、クラフト感。それとストーリー、意味の世界。地域には良いものを作ろうと努力をしている人が多い。そこのこだわりって、意味でありストーリーじゃないですか。消えていきそうな良いものを残したいし、うまく発信することで、求めている人に届けたいんです。

エネルギーの源泉

ーーそれにしても…地方の小さな工場に足を運ぶとか、ぶっちゃけ面倒ではないですか?湧いてくるエネルギーの源泉ってどこにあるのでしょうか。

ある商品開発で、いちごのお菓子を作るとき、本物のいちごとフレーバーのいちごで両方作って食べ比べをしました。子供たちは分かりやすいフレーバーを選んだ。本当のいちごの美味しさが人工の香料に負けるわけです。教育云々じゃなくて、舌って大切だなって思わされました。

生きている楽しみって、お金持ちじゃなくても、良いものを使う・味わう楽しみってあるんじゃないかと思うんです。
大手スーパーが売ってる画一的な食べ方から、地元の人たちの食べ方へ。大手メディアの紹介する観光スポットから、地元の人が愛しているスポットへ。1人知れば、今はいい時代でSNSで広がるから、昔みたいにお金かけてPRしなくていい。

だからリアリティが大事です。リモートでは見えないことが多い。現場に行って、素材や作り方を見て、目で手で舌で感じることで、「こうしたら売れる!」というアイデアがポンポン思いつくんです。現場に行くことは僕にとって全然面倒じゃないです。面白くて仕方ないですよ。

僕は、電通で消費者が飛びつくものを探すことをやってきて、そこに商流を学び、売り方を考える素地ができた。店頭キャンペーンでの経験、それからパッケージデザインも担当したのでデザインって数秒しか見ないとか消費者の行動原則の基本も学んだ。
そういう一つひとつの経験が、複合的にMIXしたものが今の仕事になっている気がします。

商品でも観光でも一緒です。技術、知見、ノウハウを生かし、いろんな地域を回って、さらに学びと経験が積み上がる。エリアを超えたマッチングもできる。
肩書きも職歴も関係ない、「金井」って人間として今持っている力を総動員して誰かの役に立てる。幸せだなあと思います。

種を植える。それだけでいい。

ーー金井さんのやっていることって、中高年の一番楽しい人生の遊び方なのかもしれないですね…。この次の視点、野望?とか
ありますか?

自分一人には限界があるのは分かってるので、僕の知見や手法、ネットワークをいろいろな所で落としていきたい。それがNHにいる一番のポイントかなと。

大学で教えていて感じるのは、Z世代って意外に経済観念もしっかりしてるし、人の役に立ちたいと思っている。デザインや動画もできてスキルも高い。若い人たちがこれから地方地域、中小企業、生産現場に入っていくことに希望があります

静岡の大学の学生に、宮城のほやのかまぼこのパッケージデザインをお願いしたら、すごくいいものがたくさん出て喜ばれ、一方で学生たちはほやのかまぼこに「こんな美味しいもの食べたことない!」と感動していて。同じく静岡の美術大学では、宿毛のPRビデオを作ってもらったら、これが面白いもの作るんですよ。せっかく静岡にいるんだから地元のことをもっと考えてみようと言うと、ちゃんと響いてる。

実際、地域に入っていきたいと考える子たちも多いです。信州大である地元企業を題材に課題を出したら、興味を持って後日自分で工場見学行って、ここに就職したいと言い出す子も。

ーーリトル金井が増殖している!?楽しみですね。10年後20年後に日本の良いものが残り、安かろう悪かろうじゃない豊かで多彩な文化が今よりも花開いていたらと。

僕は種だけ植えてあとは彼らが決めたらいい。次の世代に花になったらいいし、ならなくてもいい。何かが次につながってくれたらいい。人生は短いんで、次に繋がればいい。歴史ってそんなもんじゃないですか。

ある人に「金井さんは放火魔だ」と言われました。次々火をつけて本気にさせちゃうからと。
各地で言っているのは、「一歩踏み出せば次にいくよ。お金をかけなくても今すぐできることがあるよ」ってこと。満を持すじゃなくて、「満を逸してはいけないよ」って。そう、“アジャイル”なんて今どきの言い方はしませんよ。笑


取材・構成・文 = 本間美和
フリーランス編集・ライター
1976年生まれ。日立製作所の営業から転職、リクルート「ゼクシィ」、講談社「FRaU」の編集者を経て、夫と2年間の世界旅へ。帰国後はNPOを立ち上げ「東北復興新聞」を発行。現在は長野と京都の二拠点生活で2児の母。大人な母のためのメディア「hahaha!」編集長。著書に『ソーシャルトラベル』『3Years』。
イラスト=山口洋佑
イラストレーター
東京都生まれ。雑誌・書籍、音楽、ファッション、広告、パッケージなどの様々な媒体で活動。CITIZENソーシャルグッドキャンペーン「New TiMe, New Me」、FRaU SDGs MOOK 、『魔女街道の旅』(著・西村佑子 山と渓谷社)、絵本『ライオンごうのたび』(著・もりおかよしゆき / やまぐちようすけ あかね書房)、テレビ東京「シナぷしゅ みらいばなし」などを手がける。各地で個展なども開催。yosukeyamaguchi423.tumblr.com/

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