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#新しい働き方
【棚橋芳雄の見たい世界】断れない男のたどり着いた仕事観。心地よい空気の中から、誰かが答え出す、それでいい。
ファッションとグラフィックデザインの熱にうかされた高校生時代。広告年鑑をボロボロになるまで読み、広告業界のスターたちを追いかけた大学時代。
憧れてやまなかった広告の世界に身を置き、夢にまで見た広告賞を取り、絶頂の27歳から、50歳になる今日まで、ゆっくりと自分のスタイルを創ってきた。自信なんてないし、今だにいつも緊張する。頼まれると断れない、ノーと言えない日本人ですよと頭をかきながら笑う。
何
【鈴木教久の見たい世界】世界中の人が友達になれる未来を、ゲームでつくれたら。ここドバイから、本気で夢を紡いでいく。
ーー「Not Too Late.」彼の眼差しから、この一言を受け取った。
1000万ダウンロード、累計プレイヤー8億人のスマホアプリゲーム「人狼ゲーム」を、すべて一人で作り上げたマルチクリエイター鈴木教久さん。今はドバイ在住。どれほどギラギラ・キラキラとした人かと思ったら、違った。
鈴木さんは諦めていなかった。自分が生きているうちに、人の力で戦争を止められたら。ゲームで、世界を1つにできるかも
【広瀬由美子の見たい世界】 住む場所・働き方・生き方はもっと自由でいい。感性を大事にした自分だけの「解放区」を皆が持てたら。
ーーニーチェは言った。「問うな、ただ踊れ」。
踊ることに意味などない。踊っている瞬間こそがどこまでも美しく、その瞬間に没入すること自体が人生で最も重要なことだと。
意義の分からないこの"神なき世界"で、いかに生きるべきかを舞踏になぞらえた言葉だ。
広瀬由美子さんは、典型的な昭和の家庭で育ち、女子校から四大合格を蹴って親との約束で短大へ。時代的に、女性が自分の頭で考え、自分の意志で道を切り開くこと
【今泉睦の見たい世界】美しい海が守られる、守る人が増える未来へ。子供たちの探究心と変化を見る目を育てたい。
ーー「未来価値」という言葉を、今泉睦さんは何度も使った。
皆が価値を求め、生産し消費し、発展して出来上がった現代社会。しかし、価値に「未来」という言葉がつくと、伸ばそうとした手が「それは本当に、価値か?」と止まってしまう。
今日使えるクーポンでも、明日話せるゴシップでもなく。今泉さんはいま、より人間の根源的なものを求め、目を凝らす。
海洋プラスチック削減のプロジェクトや、子供たちのセンスオブ
【江上徹の見たい世界】会計士20年、ついに「本当にやりたい仕事」を始める。ビジネスで使えるガチンコの英語学校づくり。
ーー静かに話す人だった。
電通でも異色の経歴とスキル。敏腕公認会計士で英語も堪能。ロジカルでクールな人。それが江上徹さんの第一印象だった。
彼の人生の第一目標には、自分の力で「飯が食えるようになる」ことが常にあった。会計士の勉強をし、経験と実績を積み、信頼され仕事の依頼が来るだけの力をつけた。
社会人になって約25年、「飯が食えるようになる」を叶えた今。いつからかどこかに置いてきぼりだった「本
【金井毅の見たい世界】真摯な人がちゃんと儲け、本物がちゃんと残る未来へ。よろず相談請負人は今日も西へ東へ。
ーー金井さんってまるで……何だろう。ずっと考えていた。
分かった。宮澤賢治の「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」だ。
東に困った生産者あれば、行って売れる方法を教え、
西に逸品を作る匠あれば、行ってその良さを勝手に宣伝する。
金井さんは積み上げてきたスキルを生かしながら、さまざまな人に出会い、さまざまな美しさに出会い、良きものを残し広めるべく東奔西走する。
同年代の友人から「金井は楽しそうでいいな」
【阿部光史の見たい世界】デジタル時代に、世界中の人がカルタで遊ぶ。新しくて懐かしい「不易流行」が未来のクリエイションを創る。
ーー「見知らぬ土地の話を聞くのが病的に好きだった」。
村上春樹の作品で阿部さんが一番好きだという『1973年のピンボール』の冒頭はこの一文で始まる。
電通時代、CMや広告映像のヒットメーカーとして活躍した阿部光史さん。彼は幼少期から、知らなかった世界と出会うことがたまらなく好きで、その喜びから生まれる熱によって突き動かされるようにモノづくりを続けてきた人だ。
阿部さんが敬愛する、冨田勲さんと
【森田直樹の見たい世界】ものづくり少年はいつしか本気の夢を見る。 ドローンが世界中のラストワンマイルを担う、新しい空を。
ーー「世界の空を変えたいんですよ」。彼は照れもせずにまっすぐ言った。
子供の頃はこれといった夢はなかったと言っていた。なのに今目の前の58歳が語るこの言葉は、まるで少年の語る夢じゃないか。そう思った。
クリエイティブ畑35年から、NH(ニューホライズンコレクティブ)へ。20年以上趣味で続けてきたラジコン飛行機の仲間たちと、ドローンの会社を立ち上げた。ヤマト運輸が行う山間地域で高齢者へ薬を配達す
【浅野佳麻里が見たい世界】「食べることは生きること」。食で人と人をつなげ、モノやコトをつなげ、笑顔をつくっていきたい。
生粋の関西人で、食べることがとにかく大好き。
友達・仲間との食事が至福の時である浅野さんにとって、コロナ禍は辛かった。それでも近所に一人で行ける気のおけない店もでき、店主と話す楽しさも新しく知った。
腰掛け3年のつもりが、好きなことを夢中でやってたら仕事人生になってしまった。そう言って茶目っ気たっぷりに笑う彼女を、少女のまま大人になった人みたいだと思った。無垢に、素直に、自分の感覚でまっすぐ迷わ
【山本浩一の見たい世界】人と違うことを面白がり、内向きと外向きの力を伸ばせば、個性が花開く社会に。
ーー「人生ずっとラッキー続きで、いつでも最高」。
そう軽やかに笑う山本浩一さんの性格を一言で表すならば、スーパーポジティブ。
帰国子女で高学歴、電通に入り数々の面白い仕事をして……順風満帆ピカピカに見える彼の人生だが実は、常にマイノリティ側に置かれてきた人生だとも言えるだろう。
小学・中学時代はオランダとイギリスで異質な日本人として、日本に帰国してからはクラスに1人のガイジンとして。電通に入ってか
【笠間健太郎の見たい世界】 もっと日常にアートを。企業とアートと人々をつなぎ、日本に感性の豊かさを広げたい。
ーー「統括CDというポストにまで登りつめた人が、電通を辞めてアートを広めたいと言っている?」
どういうことなのか。もったいなくはないのか。もうビジネスの世界からは身を引き、優雅な趣味の世界に生きるというのか。
しかし笠間さんのお話を聞くうちに、私の考えはまったく浅かったと思い知った。
アートを広めたいという思いは、優雅な趣味の世界ではない。日本の新しい活路を拓くための、強く、切実で、差し迫ったも
【相馬健太郎の見たい世界】 「これでいいのだ」。経験を全開放して、何でもOKでやってみたらどうなるか…面白くなるしかないでしょ。
ーー植木等は歌った。「わかっちゃいるけどやめられない」。
バカボンのパパは言った。「これでいいのだ」。
最初に相馬さんに好きな言葉を尋ねると、この2つが挙げられた。そのユルさに拍子抜けして、一旦放置していたのだが、彼の話を聞いているうちに、2つの言葉がボディブローのように沁みてきた。
料理と山登りと沖縄が好き。酔うと三線片手にゆるゆる歌う、自称気のいいおじさん。相馬さんの語り口は冗談のよう
【田代浩史の見たい世界】老人、子供、障害者、健常者、バリバリ、のんびり。境界線が曖昧で、どんな人も生きやすい社会がいい。
ーー新しく作った田代さんの名刺の裏を見ると、キャッチコピーが入っていた。
「あなたがいるから私がいきる。違いがあるから新しい何かが生まれる。デザインの届きにくいところにこそ、豊かさへのヒントがある」。
照れ笑いしながら、こういうことを今後は大事にやろうと決めたんです、と言う。
電通クリエイティブ36年のデザイナーが、心の浮き沈みに苛まれながら、もがきながら、岸に流れ着くようにしてたどり着いた
【水野和佳の見たい世界】人の力を信じてる。だから繋ぎたい。大海へ解き放たれた今、私は感性のまま縦横無尽に泳ぐ。
ーー「たぶん、欲張りなんですよ」。彼女は言った。人生“たった”100年。やりたいことは全部やって、会いたい人には全員会いたいと。
水野さんと話すと、胸のあたりの温度が上がるのを感じた。それはきっと彼女がポンと飛び込んできてくれたせいだろう。
幼少期は大阪で、10歳から16歳まではアメリカで育った。知らない人にもアメちゃんをくれる大阪と、知らない人でも笑顔で挨拶し合うアメリカ、2つのスーパーフレン