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記事一覧

自社のWEBサイトを3日間で自作してみた

自分の会社(と言っても社員1名)のWEBサイトをDIYでつくってみた。 一年前に独立したときちょっと時間ができたので2つの目標を決めた。 ・シンプルなWEBサイトをつくれるようになる。 ・シンプルな動画を撮影、編集できるようになる。 それでお金儲けをしようとか深い考えはなく、できることがふえたら楽しいな、という単純な理由からだ。 僕はDIYが好きで、これまでにいろんなものをDIYでつくってきた。小さいものから並べると、ビーフジャーキー、家具、家、音楽フェスなどだ。どれもつ

文章を書くということは。

この半年、『宣伝会議』の編集ライター養成講座に通ったのは、 自分が始めるビジネスと並行して「書くこと」を 今後のセカンドキャリアにどう生かしていけるかを考えるためだった。 非常に充実した講義の数々で、 記事を書くということのイロハから応用実践まで 目からうろこのことばかりであった。 また文章を書くという行為には、 様々なゴールが設定されているということに 今更ながら思い至るきっかけにもなった。 私の場合であるが、幼いころから読んでいた種類の文章の大半は ほ

クリエーティブになりたかった

20年間の広告代理店時代、その大半の19年間をいわゆる営業として勤めました。 自分でも営業は天職だと思っているのですが、実はもともとは営業志望ではなく、クリエーティブ志望だったのです。 実際に就職活動はクリエーティブ志望で行っていたし、制作系のエージェンシーの面接もいくつか受けていました。 制作系エージェンシーの入社面接や試験は、当たり前ですが、総合代理店とは違い、最初から最後までクリエーティブに関するものでした。 たしか、3次面接で「某ドーナツチェーン店の新商品発売

COMFORT ZONE

2020年12月。僕は大手広告代理店を退社した。 2021年12月。僕は日本を離れ、ドバイに移住した。 2031年12月。僕は地球を離れ、月に移住している、、かもしれない。 奇妙な書き出しだけれど、今日は旅立ちについて書きたいと思う。 僕たちの心の中には、自分自身が「快適だ、安心だ、と思える心の状態」があり、その状態を無意識のうちに守ろうとしているらしい。とある人が、それを「コンフォートゾーン」と呼んでいた。 旅立ちは、この「コンフォートゾーン」から飛び出すことに他なら

博多の義父母の心意気。

認知が進行した義母の様子をみるために 久々に福岡にある家内の実家を訪れた。 確かに同じ質問を10分の間に5回ほど投げかけられる。 ついさっきとった昼食のことを思い出せない。 そして冷蔵庫の中には何か月もまえに残されたと思われる食材が うずたかく積み上げられている。。。。 状況は家内から聞いていたが、 目の当たりにして改めてなるほどこれが症状なのかと納得する。 いっぽう義父も頭ははっきりしているものの耳が遠くなっており、 大声で話さないと会話が成立しない。

50代から”幸福度”を上げていくための 5つのポイント

人生100年時代。50歳代は幸福に向けて、リ・スタートするタイミング。  人生100年時代、人生の折り返し地点が50歳代です。サラリーマンは50代になると、それまで築いてきた幸福に危機感を覚え、セカンドライフに向けては、それまでとは異なる方法や価値観で幸福度を上げていかなければいけないことに気づきます。50代サラリーマンが、農業で幸福なセカンドライフを築くためのポイントを整理してみましょう。 ① 「役職定年は、“セカンドライフのスタート期”の合図である。」   50代サラリ

会社を辞めて失ったもの

会社を辞めて、1年。 会社を辞める前に、会社を辞めると失うだろうなと思っていたもので、実際にはなくならなかったものがある一方、本当に失ってしまったものがあることに気付きました。 まず、失うと思っていたけど、実際にはなくならなかったもの。 「人脈」です。 自分のこれまでの人生の宝だと思っていた人脈を失うかもしれないということは、退社を考えたときに悩んだものの1つでした。 いざ、会社を辞めてみて、自分にとって本当に大切な人脈は会社を辞めたくらいではなくならないということ

人生初

電通の営業部長だった私が、会社を辞めて、ライフシフトし、ケーキ屋を開業する(予定)までの話を書いていきたいと思います。  会社を辞めるということ。  会社員時代に思っていたこと。  ケーキ屋を開業するにあたっての悪戦苦闘。  会社員と自営業者(個人事業主)の違い。 などなど、いろいろ書いていきたいと思います。 2020年12月31日に退社し、2021年1月1日に個人事業主として開業。 もう1年前のことですが、まだ1年前のことでもあります。 開業届は申請書を1枚

独立して半年。振り返れば遥かなり。

茨城県潮来市のあやめ祭りは今年は規模を縮小しての開催だった。 潮来に前回訪れたのは確か昨年の秋で、 その時初めて「あやめ祭り」なるものが毎年開催されると知り、 来年必ず来ようと妻と約束していた。 確か会社の退職を正式に決断したのも昨年のあのころだった。 そして2021年6月。 その花の咲き誇る(実際は花菖蒲が多いのだそうだが)初夏の潮来に、 再訪した。 メインパーク沿いには小さな運河があり、 観光用のろ漕ぎ舟がのどかに行き来する。 それに揺られながらぼんや

働きたくない。学びたくない。遊びたい。

先日、NHK「クローズアップ現代」で自分も所属するニューホライズンコレクティブのことが取り上げられていた。いくらでも誤解曲解できるしくみではあるが、おおむね正しく、そして好意的に描かれていたと思う。さすがNHK。思えばNHKよく見てるなあ。ドキュメント72時間、カネオくん、ファミリーヒストリー、、、ぶっ壊せ!という人もいるがそれは困る。壊さないで。 それはさておき、ゲストがあの「LIFE SHIFT」のリンダ・グラットン先生だった。おおお。豪華。4年ほど前に読んだ時、わりと

町工場でカイゼンをした少年時代の話。

実家は東京の下町で小さな町工場を営んでいた。 創業100年近い鋳物(いもの)屋である。いまはよそへ移転してしまったが昔は自宅の隣に工場があって、そこでさまざまな金属部品をつくっていた。木や砂でできた型にドロドロになった熱い金属を流し込み、冷えたところで取り出す。その後削ったり磨いたりして部品として出荷する。 金属はいろんな種類があって僕は真鍮が好きだった。金色で綺麗で、たぶん5歳くらいまでは金(ゴールド)だと思っていた。工場の一角には壊した砂型でできている高さ3メートルほ

サラリーマンを辞めて陶芸家になる!

その昔、美術大学に通っていた私は、粘土の課題が苦手だった。 特に、粘土でりんごやレモンやピーマンなどをそっくりにつくる、 というのが苦手だった。 平面のほうが、自分をより表現できると思っていた。 大学では、写真をつかって作品をつくっていた。 モノクロフィルムを自分で現像して、暗室に籠ってプリントする。 赤い光がかすかにともる中で、現像液につけた印画紙に ぼんやりと像が浮き上がってくる。 その瞬間を見るのが好きだった。 そのうち、表面が均一な市販の印画紙に飽き足らなくなって

写実表現かイメージ表現か「そっくりなモノは作りたくない」と思っていた私が、考え直したその理由。

私はネコ専門の造形作家です。小さなレジン製のネコを作っています。私は「そっくり」と言われる事に抵抗感がありました。「そっくり」=「本物ではない」と思っていたからです。しかし最近、その思いに変化があり、そのいきさつをお話しさせてください。 今まで目指したのは「写実」ではなく「印象」。私のネコ作りは、猫を写実的に再現するのではなく自分にとっての「猫の印象」を形にすることを目指していました。 その具体的方法は、体は骨格や動きなどを含め写実的に表現し、頭部=顔は、あまり写実的より

農業の現状と問題点を考える。その3:「耕作放棄地」

減少を続ける日本の耕作地。  農業と農地には食料を生産するだけでなく、「多面的機能」という多くの機能を持っています。例えば、うるおいのある景観をつくり出す”景観創出機能”や、いい水や空気を守る”環境保全機能”など。農業従事者が減少する一方で、それらの多面的機能を担う耕作地はどうなっているのでしょうか。  農水省の統計によると、農地面積は宅地への転用や荒廃農地の発生などによって、農地面積が最大であった昭和36年に比べて約162万ヘクタールの農地が減少しました。ここ約50年で、日