ライフシフトの向こう側
この特集では、ミドルシニアが自身の経験や好きなことを発揮できるあたらしい『出番』を創出する「ライフシフトプラットフォーム(LSP)」に所属するメンバーのライフシフトの体験と未来をお届けします。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/145487168/rectangle_large_type_2_46c33b634e18c2ae79d6a1f7276290ff.jpeg?width=800)
じわじわと数年かけて退職を決めた「グラデーションライフシフト」。会社員時代の行動力の延長線上に、今の仕事がある――田村史生さん
ライフシフトをした人たちのストーリーを紹介する連載「ライフシフトの向こう側」。 今回紹介するのは、パナソニックを早期退職し、ライフシフト後の仕事や暮らしを満喫している、田村史生さん。 ユニークなアイデアで人を支援する会社員時代を過ごし、自らの判断で退職・独立。穏やかな語り口で展開される田村さんのストーリーは、行動力と好奇心に満ちていました。今、やりたい仕事や活動に存分に時間を使う田村さんの姿は、一歩踏み出したい人にとって大きな参考になりそうです。 ▶この特集では、ミドルシニ
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/138417218/rectangle_large_type_2_0fd7e952ed2855214a720013e6576c3f.jpeg?width=800)
ライフシフトで「充実したサラリーマン」である自分へかけていた魔法が解けた。大都市暮らし・大企業勤めから、ローカルコミュニティへ――堀切禎史さん
走りながらも心の奥底で「ゆでガエルにはなりたくない」「井伏鱒二の小説に出てくる山椒魚みたいになってはいけない」と思っていた――。 会社員として意欲を持って仕事をこなし、充実した毎日を送りながら、 組織への依存、つまり会社がないと成立しない人間になっていくのではないかという不安は、常に抱えていたと話す堀切さん。 それでも、約20年間は会社を辞めるという発想はまったくなく、ライフシフトプラットフォーム(LSP)の募集をきっかけに、仕事もプライベートも大きなライフシフトを決断。 こ
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/133706818/rectangle_large_type_2_17652b6bc271db2a6f254bd9b6fae5c5.jpeg?width=800)
ライフシフトって声高に言う必要はない。半径5メートル以内の「手触り感」が好きだから、自分が楽しめる仕事をしよう――佐藤彰さん
ライフシフトをした人たちのストーリーを紹介する連載「ライフシフトの向こう側」。今回紹介するのは、日本たばこ産業を早期退職し合同会社を設立した佐藤彰さんだ。 取材前に佐藤さんから届いたプロフィール資料には、職務経験の下に大きく「ご覧のとおりこれといった『畑』はありません!」と書いてあった。 かっこつけない、飾らない人——。 そんな第一印象のまま、取材は進んでいった。 佐藤さんから紡がれた言葉たちは、「どう楽しく働くか」の大きなヒントになりそうだ。 自分らしく自由に働きた
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/130812518/rectangle_large_type_2_988732dbc7b70128c83c6e8649d2825a.jpeg?width=800)
「一期は夢よ、ただ狂え」と破天荒だった父への羨望。退社後は「楽しいことだけ」を選んでいきたい――黒岩秀行さん
父は、官能小説家の団鬼六。 偉大な父の背中を見ながら、バンド活動に打ち込んだ学生時代。 あきらめの境地で入社し、理不尽な人たちにおもしろみを見出した会社員時代。 そして退社を選択し、好きなこと、楽しいことに立ち返った今――。 ライフシフトを経て、本来の自分を取り戻しつつあるように見える黒岩さんの、これまでに迫りました。 ▶この特集では、ミドルシニアが自身の経験や好きなことを発揮できるあたらしい『出番』を創出する「ライフシフトプラットフォーム(LSP)」に所属するメンバーのラ
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/89370059/rectangle_large_type_2_0642ec784b442d87b20cab6ce294a025.jpeg?width=800)
【鈴木教久の見たい世界】世界中の人が友達になれる未来を、ゲームでつくれたら。ここドバイから、本気で夢を紡いでいく。
ーー「Not Too Late.」彼の眼差しから、この一言を受け取った。 1000万ダウンロード、累計プレイヤー8億人のスマホアプリゲーム「人狼ゲーム」を、すべて一人で作り上げたマルチクリエイター鈴木教久さん。今はドバイ在住。どれほどギラギラ・キラキラとした人かと思ったら、違った。 鈴木さんは諦めていなかった。自分が生きているうちに、人の力で戦争を止められたら。ゲームで、世界を1つにできるかもしれない。 世界一の高層ビル、「ブルジュ・ハリファ」が窓越しに見えるバキバキに
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/87259542/rectangle_large_type_2_f298f6cbe4d7e7afe3026348e1a11de6.jpeg?width=800)
【広瀬由美子の見たい世界】 住む場所・働き方・生き方はもっと自由でいい。感性を大事にした自分だけの「解放区」を皆が持てたら。
ーーニーチェは言った。「問うな、ただ踊れ」。 踊ることに意味などない。踊っている瞬間こそがどこまでも美しく、その瞬間に没入すること自体が人生で最も重要なことだと。 意義の分からないこの"神なき世界"で、いかに生きるべきかを舞踏になぞらえた言葉だ。 広瀬由美子さんは、典型的な昭和の家庭で育ち、女子校から四大合格を蹴って親との約束で短大へ。時代的に、女性が自分の頭で考え、自分の意志で道を切り開くことが容易な世の中ではなかった。しかし彼女は、度々現れる彼女を縛ろうとする鎖を何とか